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「週刊 球体のつくり方」Vol.45

そのハンドルは誰が握ってるのか

2026年が始まって、もう4ヶ月。
正直、ちょっと変な空気感だなと感じていませんか。
何がどう、とうまく言えるわけではないのですが、何かが噛み合っていない。
そんな感じがずっとあります。

最近、SNSを見ていても思うのですが、みんなそれぞれ答えは持ってるのだけども、でも会話はしてないというか。
強い言葉や感情だけが、あっちからこっちへ飛び交っているようにも見えます。

政治とかテクノロジーとか、そういう大きな話で何とかできるのかとも考えました。
けれど、たぶんそれだけでもないのでしょう。
わたし自身、そんなに簡単な話ではないと思っています。

それでも、まぁ別に絶望しているわけではありません。
サークルズという現場で、自転車という乗り物に触れ続けていると、少しだけ違う感覚を持てることがあるからです。

サークルズのピットには合言葉があります。  
「自転車は悪くない」という言葉です。

少し突き放して聞こえるかもしれませんが、わりと本気でそう思っています。
なぜなら、自転車が調子を崩す理由のそのほとんどが、機械そのもののせいではないからです。

空気を入れていない。
雨ざらしにしている。
整備をしない。
操作を雑にする。
道具の価値や状態に無関心なまま、ただ消耗品のように扱ってしまう。

もちろん全部が全部そうではありません。
でも、不調の根っこが「モノの欠陥」ではなく、「人の関わり方」にあることは、案外多いのです。

そしてこれは、たぶん自転車だけの話ではありません。

うまくいかないことの原因を、仕組みや環境のせいにしたくなることはあります。
実際、そうとしか言えない場面もあるでしょう。
ただ、それでもなお残るものがある。
自分がそこにどれだけ関わっていたか、ということです。

自分で触らない、自分で決めない。
気づけば、どこかの仕組みや、誰かが用意した流れの上に、ただ乗っているだけになっている。
それって、自分のハンドルを誰かに預けてるのと、あまり変わらない気がします。

わたしがたびたび使っている「自転力」という言葉も、結局はそこにつながっています。

自分で漕ぐ。
自分でバランスを取る。
しんどさも、失敗も、進んだ実感も、なるべく自分のものとして引き受ける。

そういう感覚を、いまのわたしたち現代人は少しずつ手放しているのかもしれません。

最近は、強い人の言葉とか、AIの出す答えとか、そういうものに乗っかるとやっぱり楽です。
転びにくくもなりますし、間違えた感じもしないのでしょう。

でも、そんな言葉に触れていても、ああこの人は自分で漕いでいるな、という感じが、あまり伝わってこないことがあります。

自転車なら、その違いはわかりやすいかもしれません。
自分で空気を入れて、漕いで、しんどかったらそのまましんどい。
向かい風なら、ちゃんと進まない。
坂なら、きっちりと脚に返ってくる。

でも、その全部を引き受けた先でしか見えない景色があります。

肺が焼けるみたいに苦しいこともある。
知らない街にたどり着いて、妙にうれしくなることもある。
そういう積み重ねの中にしか、たぶん自分という輪郭は出てこないのでしょう。

わたしは、「球体のつくり方」でずっと同じことを書こうとしているのかもしれません。
一人ひとりが、自分の頭と身体でバランスを取る感覚を取り戻すこと。
そのために、自転車という乗り物を使って考え続けているのだと思います。

そして、どんなに考え方が違っても、どんなに住む世界が違っても、一台の自転車をあいだに置いて、同じ汗をかき、同じ坂道のきつさを分かち合ったとき、言葉より先に通じるものが生まれることがあります。

それは案外、ばかにできない力です。

システムが壊れているとか、正解がないとか、そういう話はいくらでもできます。
でも、じゃあどうするのかとなると、やることは意外と単純なのかもしれません。

一度、余計なことは少し脇に置いて、
ちゃんと自分で空気を入れて、
自分の足で自転車を漕いでみる。

それくらいのことからがちょうどいいのかもしれません。

それで世界が変わるかは、正直わかりません。
でも、世界の見え方は確実に変わると思います。

いつもの道でも、少し違って見える。
同じ坂でも、前とは違う意味を持ち始める。
その変化が何につながるのかは、すぐにはわからないかもしれません。

けれど、自分のハンドルを自分で握り直す、というのは、たぶんそういうことなのだと思います。

大きな答えをいきなり出せなくてもいいと思います。
まずは自分でちゃんと漕ぐこと。
その感覚だけは、誰かに代わってはもらえません。

それではみなさんごきげんよう、また来週お会いしましょう。

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kyutai
田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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