Text & Photo by Shinya Tanaka/Photo by Randi Jo
僕はよく恋に落ちる。
それは時に人であり、時にモノである。
彼女に限ってはその両方だった。
それは5年前にさかのぼり、Rick Hunterが「彼女には会っておいたほうが良いよ。今キャリフォルニアに住んでいるから、近いからさ、今から行こうか?」ってそんな感じで出会ったのだ。
当時彼女には一人目の子供が生まれ、ユージンの自分たちのバイクショップをホイールメーカー “Rolf” の社長に売ったばかりで少し余裕もあり、ひいおばあさん所有のキャリフォルニアの古家の保持とメンテナンスの為に数年間そこで滞在していた時だった。
そしてそこにはオレゴン時代からのお客さんの為にキャップやエプロン、カバンなんかを作る為の小さな工房が一部屋あって、台所なんかもまるで映画にでも出るような質素なのだけどもとてもセンスの良い飾りがしてあり、そして”本当”にそこにある全てのモノがしっかりと使い込んでいることがすぐにわかって、あぁすごく最高なヒトたちだなって思ったのだった。
Randiと旦那のEricにはいっぱいいっぱい素晴らしいツーリングに関する経験とその逸話があって、アメリカのビッグツアラー達ならば必ずその名前や彼らのBlogの存在を知っている。
まず最初にRick以外からその名前を聞いたのはChrisKingに入社したてのNick Sandiからだったし、(その当時NickはSurlyの社員としてQBPで働いていた。そしてその内容とは彼らがSurlyとの取引をお願いする為にオレゴンから1800マイルを走破してミネアポリスにまで契約をしに来て、ステーの為の部屋を彼らが貸すって言っても、星空が好きだからってQBPの庭にテントを張っても良いかって逆に聞かれてもちろん良いよって答えたそうだ。そしてニックいわく “Very Beautiful People” って形容していたのがとても印象的だったのを覚えている。) 西海岸にあるちょっと本質を理解している自転車屋に行くと必ずRandi製のショップオリジナルのキャップやエプロンがしっかりと置いてあるのだ。
そして彼らと話してわかるとても大事なことはやはり “誰に” それを頼むかってことでもあって、それはハンドメイドのフレームを誰かにお願いすることと限りなく近いということでもあり、その繋がりこそがこの小さなコミュニティーの中に存在できていると言う証明となって、それは各個人やその店そのものの重要なファクターになりえるということなのだろう。
その後、彼女達はオレゴンの彼女が生まれ育ったElktonという生粋のオレゴニアンでも知る人が少ない、人口170人足らずの小さな小さな街に戻り、自転車屋(Elkton Bike Station)とRandi Jo Fablicationsを再開した。
そして繁盛している。もちろんそれは日本のそれとはちょっと異なった意味ではあるのだが、繁盛しているのである。
多くのビッグツアラーたちは彼女やEricに会うためのルートを事前に組み、そしてそこで中間メンテナンスを受け、ついでにカバンやジャージーのオーダーを置いて行く。
本当に今年の夏はたくさんの人が来たってうれしそうに静かに喋ってくれるRandiがとても素敵で、何かもう本当にどうでも良くなっちゃう気持ちになるくらいに彼女たちと彼女の作るものとその環境に僕は恋しているのだ。
そしてやはり最後はモノが語り出す。
作り出されたそのいきさつは、そのモノ自体の中枢に深く入り込んでいて、その表情やその中身を僕らに存在としてそっと提示してくれるのである。
それをどう見て取るかなんてのはきっと個々によって違うのだろうって君はいうのかもしれないのだろうけど、僕からしたらそんなことも見てわからないなんてきっと君のその目や感覚がどうにかしてるんじゃないかって思っちゃうくらい “彼女たちが作るって” ことが素敵なんだって言い返してやるんだ。
で結局言葉で話したりしても、きっと全部は伝わらないってことも僕はわかっているし、でも少しでも彼女のモノたちに触れる機会があるのなら、ここまでの写真群や僕の拙い言葉を少しでも思い出してくれるとうれしいと思うのだ。(ぜひFlickrにある彼女の生活をフォローしてみて下さい。これの100倍以上の圧倒的なリアリティーがそこには在るから。)
もう本当に最高なんだよ。
Randi Jo Fabrications – ランディジョーファブリケーションズ