田中 慎也
Mr.Circles

田中慎也

Tanaka Shinya


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空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。

Bikes:

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Hunter RoughRider
【詳細】
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Cielo Sportif Classic
【詳細】
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Black Cat Road Racer
【詳細】

 

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HunterCycle SimpleTourer
【詳細】
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HunterCycle CargoBike
【詳細】

犬は吠えるがキャラバンは進む / 12回目の回顧録

早いもので今年ももう残りが40日を切りました。 ウインターシーズンの風物詩ともいえるシクロクロスのレースが今年も始まり、山里では虫たちとの遭遇も少なくなって林間ライドもしやすく、路面凍結前の峠道では多くのサイクリストとすれ違います。 今年は特にエル・ニーニョ現象の影響からか暖冬基調にあり、自転車乗りにとって最高のシーズンではないかと思います。

おかげさまで今年の12月1日をもちましてサークルズは12回目の誕生日を迎えることになりました。 これはひとえに私たちサークルズというコミュニティーをサポートをしていただいている多くのお客様ならびにスタッフ、協力工場、メーカーの皆様のおかげだと思っております。

心より感謝しております。
 
 
今年は大きな起点、分岐となる出来事が多くあり、この場所をお借りして少しご紹介をしたいと思います。

何よりも一番大きかったことと言えば海外にもう一つの拠点を作るという、いまこうやって言葉にするとかなり壮大(無謀?)な構想を現実化して実可動に至るまでを達成できたということです。 今までの先人たちが培ってきた技術と伝統、そして私たちが経験してきた物事を自転車パーツとそれらに付随する製品に落とし込み生み出しているシムワークス製品を求めてくれる海外からの声の高まりに対して、いかに我々の本質を正しく伝えあげ、そしてカスタマーに対して最良かつリーズナブル (REASONABLE / 文字通り決して安いという意味ではないです)な製品提供できるかを考えて出てきた選択肢はそう多くはありませんでした。 また海外赴任を強く求める女性社員と、やれないことはないのだというチームの強い意志がしっかりと共鳴したのはただの偶然とも思えず、本当に自転車に乗ったからこそ出会えた仲間たちと仕事をしていてよかったなと率直に思いました。
  
 

我々が作り出しているシムワークスならびにRALの製品は日本国内にある工場で作られることが必要不可欠です。 その最大の長所とは人類の進化の基本と同じくコミュニケーションにほかならないのですが、同じ日本人同士においても、いかに多くの共通言語をお互いに語り合う事ができるのかがキーだと思っており、同じ好きなことを仕事にしている人間同士であるということも一つの重要な共通言語となりえます。 その多くの共通性を持つ仲でコミュニケートを積み重ねていくことこそが、決定や行動をすばやくし、阿吽の呼吸すらを生みだし、またボタンの掛け違いを限りなく減らしてくれるのだと思っています。
 
 

この私たちが理想とする動きをより強固にするために、シムワークスがオリジナルフレームの製造依頼をしている、同県内にありますShin・服部製作所へ数名のスタッフを送り込み、製造現場との密着性をより高めることにも繋がりました。 代表である服部氏の自転車に対する熱い思いや彼がフレームビルダーとして開業するまでのその動きとはまさに惚れ惚れするものなのですが、(詳しくはおしゃべりな彼にその思想を聞いてみてください。)サークルズとこの地方の現場環境を知り、物事の捉え方、考え方も共通点が多く、そしてやはり同県内にあるという地の利は私たちにとって多くのものをもたらしてくれます。

すこし話は少しがそれてしまいますが、愛知県は多くの山々、そして海にも面し、日本国内においても有数のプレイフィールドに囲まれた地域だと思っています。 また自転車が純粋に楽しいアクティビティであり、かつ健康的などの側面も捉えられ始め、多くの地方自治体が地方創生活動においてとても有効であると考え始めた過疎地域の人々は加速的に協力度を増しています。 実際に我々が力を入れている豊田市の山間部、稲武地区においては地域企業の人材確保のために連携し、私たちもマンパワーを送りこんで今まさにプレイグラウンド(バイクトレイル)を切り開いている最中なのですが、根本のアイデアとはどうしたら未来ある若者たちが山間部への移住を決意し、そこで仕事と趣味の両立を軸に、かつ生活の安定をも無理なく図ることができるかというものでした。

死にゆく山々としてみんな半ば諦めかけていた実情だったのですが、こよなく自転車を愛する趣味人がこの地でのびのびと生活ができるであろうかと考え尽くし、産み出した答えがINABU BASE PROJECTであり遊びと生活の一元化を声高に唱えてくれました。 まるでそれは常に最良の波を求める力強きサーファーや雪山に移住し新たなコミュニティーを創造しているスノーボーダーたちのように感じました。 そして実際に多くの若き人材がすでに稲武地区への移住を決め、来年度からは実質的な可動も始まろうとしている現状を見ていると、まさしく新たな時代が始まるのだなと感無量になります。
  
 

そんな同地域で共に生きる服部くんとの製造活動は私たちが主としてきた販売活動やデザイン業務のみでは知りうることができない本当に大切な宝物になりつつあります。 ここで得た経験を私を含む全てのスタッフが正しく理解した上でより密なコミュニケートが始まると、さらに多くの人たちが誰が、なぜ、どうやって、どこでモノを作り出しているかということにも、そのプライスタグ以上に興味を持ってもらえるのではないかと思ってもいます。
 
 

さらにはRIDEALIVE(以下ライドアライブ)も今年はついに海を渡り、アメリカ オレゴン州 ベンドと北海道のニセコにおいては初めての試みでもあった女性限定のガールズ ライドアライブも開催することができました。 遊び上手なアメリカ人たちのことはともかく、北海道で開催したライドアライブでは準備から実行までをすべて女性たちのみで行い、本当に多くの女性サイクリストが全国から集ってきてくれたという事実はこれからの日本のみならず世界が向かうべき姿と照らし合わされましたし、真の希望の芽生えとなりました。

私自身、常日頃思うことがあります。 それは今までもこれからもそうなのだと信じていますが、日本は世界に誇れる自転車王国だということです。 その中でも一番胸を張って言えることとはアクティビティとしての自転車活用や世界に轟くその製造力ではなく、いかに多くの日本人が毎日のように自転車を使って生活をしているかという事実に尽きます。 その多くの使用者とはまさしく女性であり、毎日の買い物から子どもたちの送り迎え、登校から出社までどれほど多くの人たちが自転車を活用して生活しているということにほかなりません。 自転車の便利さを肌で知り、使い切っているその女性たちがもし日常以外の場所で自転車を用いて、楽しみ始めたらと想像するだけで胸が踊るのです。
 
 

そして私たちは毎日のようにママチャリの修理を頼まれるのですが、サークルズに入社するとまずママチャリ専用ピットでの訓練が始まります。 その現場で私たちの哲学や思想、そして向かうべき理想を学ばせたいと思っているからです。 その中でもいちばん大切なこととはやるべきことしたいことを明確に見極め、それをどうやって自分の力で達成していくかということです。 日本という社会において自転車と呼ばれる道具の主な使われ方を新人スタッフにはしっかりと感じ、考えてもらい、その先にある夢への実現を自身の力で育んでもらいたいと思っており、その日常の繰り返しから学び続け、手足を動かし続け、決して止めない力のことを自転力と呼んでいるのです。

その各々が携えた自転力を今年はサークルズというチームのみんなが駆使することによって先ほど上げた結果へと導かれたのではないかと感慨深く思うのですが、まだまだサークルズとしての夢は大きく、そして先は長く、また世界一のサイクリング大国を創造していくためにも、日本中のみなさまのご協力を引き続きお願いしたいと思っております。 

長文を最後までありがとうございました。
 
そしてサークルズは自転車を信じています。
 
 
株式会社 Circles
代表 田中慎也

今、そこから始める自転力について。

久しぶりにビッグシティー東京に行ってきました。
その目的とはコリーヌ・ベイリー・レイのライブに行きたかったのが一つ、そして週末に調布で開催されたオフ・ザ・グリットへ現場スタッフから急遽追加発注された商品をハンドキャリーして持っていくのが追加されたのでした。 この場を借り、非常に多くの方にRALの新製品NEW TABBY SOCKSをお買い上げいただきましたこととても感謝しております。 誠にありがとうございました。

最近ではイベント出店が多く、商品や什器の搬入のため車での移動が多くなっていたのですが、今回は久しぶりに新幹線で時間的には早くもありますが、ゆっくりと自分の中で考え事をしての移動だったので思い立ったことをここに記載しておこうと筆を執った次第です。 (ここからの写真はイメージです)

オフ・ザ・グリットにはアウトドア・フィールドにおいて、自分たちの欲しいもの、やりたいことを形にするガレージブランドが多く出店しており、開場前には入場待ちの列ができるほど人気イベントです。 オープンと共にダッシュでお目当てのブランドに辿り着こうとする人たちをしり目に、わたしたちはわたしたちでブースの最終チェック。 ありがたいことに前日ほとんど売り切れたソックスの補充に励みます。 そんな人気のあるガレージメーカーのサイトをたまに覗きに行くと、驚くことが連続して起きます。 その多くがものを作り上げていくまでの時間をあまり惜しんでいないということがまず上げられます。 憶測にはなりますが競争の多いアウトドア産業の中においても、それぞれの生み出したいと思うものが、決して他の多くがまだ想像していないと考え、行動しているからなのだと思います。 そしてしっかりと作った以上にその過程と内容を伝えていくことも非常に大事にしているということも含めて。  


また現場で思ったことで残念なことは、数年前に生み出された画期的なアイデアは多くの作らざる得ないメーカーに完全に真似をされており、誰が実際に本家だったのかさえ、わからない状態になっていたことなどもありました。 しかしながらやはり群を抜いて際立っていた何社かのメーカーは、イベント現場においても自分たちの仕事に確固たるプライドがあり、その都度の仕掛けを作り、極めて正しく、楽しく、正確に伝えるという現場活動自体も、ものづくりに比例して飛び抜けているのがとても印象的でわたしたちもしっかりと見習いたいと思ったわけです。

常日頃シムワークスRALとしてなんとか良い製品づくりをと勤しんではいるのですが、まだまだ製造に対する工程管理や時間軸、その目的意識をかれらほど正しく、丁寧に伝えきれていないことが今の重大な課題ではあるのですが、やはり今売れてるものを血眼になって探し、それを真似るようなモノ作り屋だけにはやはりなりたくないと強く思うわけなのです。

またそこで考えました。 今一度サークルズと言う自転車屋を作った目的を話す必要があると思ったのでおさらいをしてみようと。

服飾業で働いていた私でしたが、服の可能性をまだまだ感じつつも、その使われ方や売られ方において疑問符を消すことが出来なかったために、なるべく人のためになれることを自分の一生涯の仕事にしたいと思い始めたのが今から16年前のことでした。 それ以前よりハマっていたマウンテンバイクだったのですが、やはりマウンテンバイクというものはそれまで好きだったスキーと同じくして、山の近所で付き合っていくことが必要だったため、そして当時の自分としては街を離れるという想像が出来なかったために、自分がどう自転車と向き合い、そしてより愛することができるのかを日々考えていました。

また自身の海外での体験も強烈でした。 その多くのサイクリストはものを使い切ることを前提に自転車を手に入れ、しっかりと壊し、そして技術とともにコンポーネントもステップアップしていくのでした。 また自分の所有するものをどこまでも理解したいと思う気持ちや自身が作り上げ、考え抜いた感覚や哲学を他に広めつつ、サイクリング仲間を増やして行く手段などもとても素敵だなと思ったことだったのです。そんな感覚をなんとかこの国にも定着できないかを試行錯誤し自分なりに考え出した答えが自転力という言葉でした。

自ら転がりだす勇気を内部に生み出し、それをコントロールするために自身の力で慣性を得る。 すなわちペダリングを行い続けるという行為の魅力が私を虜にしたのだと悟ったわけでした。 よって私にとっての自転車という存在はそのシンプルな物理的魅力もさることながら、より哲学的な響きによってもたらされたのだと思っています。 ふと思ったのですが、登山家が山に登る理由がそこに山があるのだからとよくいいますが、もし山がなくてもきっと海に深くもぐったり、ウルトラマラソンをしているかもしれないなぁなんて感じでしょうか。

さておき、いろいろな物事にも当てはまると思うのですが、もし人が好きなものを徹底的に考えたり、追求をすることによって先ほどの自転力というものは勝手に身に付くものだと思っています。 その自転力を身に付けた人たちは今週末のオフ・ザ・グリットでも少なくないほど出会うことができました。 それらは大小を問わずに自分たちで考え抜き、作りたい、伝えたい欲求に駆られており、多分シムワークスやRALなどの感覚に近いものとして生み出された意識たちの結晶なのだとも感じました。


話は戻りますがサークルズは自転車を信じていますとABOUT USにも書いてあるように、ある特定のものだけを愛するような偏ったことはあまりしたくないのです。 街に溶け込んだママチャリや実用車、そして使い込まれた通勤快速車などにもそれぞれ道具としての美しさがあります。 そして何よりも移動インフラとしての自転車をサポートすることは何よりも大切だと思い、またそれらをより長く、愛着もって使い込んでいってほしいと心より願っているわけなのです。 また好きが突出してしまった方たちにはカルチャークラブというサイクル・コミュニティーセンターもご用意しています。 ぜひ自分の自転車をより詳しく知ってみてはいかがでしょう? そして自転車の本質的な素晴らしさを奥様や恋人、友達や同僚に嫌味なく、オタク感無いように伝える努力をしてみるのはどうでしょう?

自分の好きなことを他人が興味持てるように話すことはとても難しいはずです。
でもそんな気持ちが生まれることがまさに自転力の始まりなのだと信じております。



 
Most of Photo by Shige
Text by Kyutai
 
  
 

【アンケートのお願い】

この度は、日常的に自転車をお使いのみなさまに、より良い住環境を整えていくことを目的としたアンケートを実施したいと思います。

巨大都市圏などでは自転車での移動が一般的となり、マンション内での自転車保持法や自転車に対応した通路確保なども取り入れられておりますが、地方都市ではまだまだその認知や住人との相互理解とコミュニケーション不足などからトラブルも多くあります。

ぜひ今回のアンケートにご参加いただき自転車を取り巻く環境改善にご協力いただけましたら幸いです。

下記のアンケートフォームよりたくさんのご参加をお待ちしております。

https://goo.gl/forms/4UnqYVimEbdr6jSy1
 
 
サークルズ代表
田中 慎也
 
 

原点回帰 – トレイル開拓のはじまり

 
マーケティング(英: marketing)
企業などの組織が行うあらゆる活動のうち、「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその価値を効果的に得られるようにする」ための概念である。また顧客のニーズを解明し、顧客価値を生み出すための経営哲学、戦略、仕組み、プロセスを指す。

僕はマウンテンバイカーだった。 過去形なのである。

名古屋近郊の山々を当時の仲間と時間を見つけては、仲間内だけが知るルートを自由気ままに走り回ったり、時には自転車を担ぎ新規開拓したり、結構真面目にクロカンのレースや王滝などにも参加をしていた過去もあったりする。

しかしながらマウンテンバイクという趣味自体の低迷期が訪れ、一人また一人と山にはいる人間も少なくなっていき、挙げ句の果てには身勝手な欲求や勝手な独自解釈や啓蒙活動の不備なども祟り、自転車での入山を本格的に禁止されてしまうトレイルもどんどんと増えていった。 そんな中でも僕たちは数少ない仲間とバックパックにナタを忍ばせ、パトロールと称し、少ないけども山遊びが誰もが楽しめるようにとせっせと走り回っていた。 でも僕たちもまだまだ幼く、社会的にも未熟だったこともあり、荒れ続けるトレイル、甲斐性のないバイカーやランナーたち、そして山村共産主義などとともに、やはりどこか胸を張りきれない、グレーゾーンな遊びであるという事実などに性根尽き果て、自分がやるべき仕事を違うベクトルへと移動させたのだった。

そして自分が自転車屋を始めるころには、そのベクトルとは自転車と言われる道具を誰にとっても大切なインフラと捉えてもらうべく、また街に住むものとして便利な乗り物として定着させるため、あらゆる手段を使い名古屋が最強の自転車タウンとして誇れるように、そしてそれは単なる流行り言葉としてではない、まっとうに本質的な意味として現実化させようと言うものだった。 

ただその心の裏には “もし、より多くの人々がこの道具に心奪われてもらえたなら、きっと自転車を使ってオフ・グリッドを純粋に楽しみたいと思い始めるに違いない、昔の僕と同じように” という期待を常に抱いていたからだ。 だからまるでヨーダのように近道したいなら遠回りするべく、さまざまなイベントを仕掛け、時には街で、時にはトラックで、時には河川敷で、とても緩やかなスピードで、でもゆっくりとながらもアスファルトから土へ、そして山へと目線の先が少しずつ近づいてきていることを確認してきたつもりだった。

数年間運良く名古屋が誇る芸達者 NPO法人 チャリンコ活用推進研究会、略してチャリ犬の伊達というオトコと机を並べ仕事をしていた。
夢見がちな大のおとなの二人は考え方こそ違えど、達成目標はきわめて近かったのがとても幸いした。 僕たちはシムワークスとクリスキング共催のグルメセンチュリーという企画を立ち上げ、豊田市足助町という山村でそれを開催するにあたり、多くの山間部の人々たちと話す機会を得た。 そして時代という風も吹き始め、伊達は地方再生という名のもとに一枚の企画書を書き上げたのだった。
 

それは呼吸をするように。

僕たちが常々話していたのは、マウンテンバイクはサーフィンやスノーボードなどと同じ行動原理で動かしていくべきではないのだろうかということだった。 たまのアクティビティーとしてトランポに道具を乗っけて、現場へと向かう非効率な行動が僕をスキーから遠ざけ、自転車へと向かわせたひとつの原動力だったのだけれども、むかしスキー場に住んでいた経験もあるので、端的に話すと、わたしをスキーに的なスペシャルな空気感は広告的にとても大切にされているのだけども、あくまでも流行的であって、いっときの爆発的な数量増加を見込めるのだけども、やがては萎みいくのは現在の冬山を見ての通り、(これは昨今の弱ペブームにも当てはまるかもしれないけども。)結果、そのスペシャルを保つためのコストがかさみ過ぎ、やがて疲れ、終わっていく。 そんな事実を事実として捉え、マウンテンバイクはあくまでも常習的な呼吸をする位の感覚で、それはまるでサーファーが海の様子を眺めるように、現場の管理整備を広告側やメーカーではなく、ユーザーが発想、行動し始めるようになるのがとても理想的であると常々話していたのだった。

そこで登場するのが某山村にて、愛知が誇る大企業の生産を請け負う会社の社長であった。 彼は僕らと同年でイギリスでのマウンテンバイクの経験を持った上、山間部でのマンパワー不足をアクティビティーにより解決できるのではないかと考える、とてもグローバルな感覚の持ち主だった。 それらアイデアを持ち寄って伊達は企画書を書き上げ、事実内閣府からお墨付きをもらったというわけである。 そして僕たちには遊び場が必要になってきている現状と、デザインで社会を変えていくことが大好物であるということもあり、このトレイル造形プロジェクトへと自然につながっていった。

今回は山頂からジープロードへと続く3kmのトレイルを作り上げていくという作業をおこなった。 このプロジェクトの価値を共有し合える多くの有志たちとともに、まちの財産区を管理する区長を始め、山林業務に将来は従事したい役所職員、もちろんマウンテンバイカーやハイカーまでもが参加してくれ、約4時間の作業でこの区間をほぼ100%の乗車率で多くの人が楽しめるトレイルが生み出された。
 

遊ぶことと生きること

ここで話は少しそれるのだけども、クリスキング社のグルメセンチュリーの原点とは実はトレイルカッティングだったのだ。 多くのサイクリストが自由や遊び場を求めていた時代、そしてルールの厳しいカリフォルニアにて、行政からお墨付きをもらった山林にて、クリスキングの声がけによって人が集まり、汗を流し、トレイルを造成の手伝いをしてもらっていた。 そのご褒美として最高の食事、キャンプ、そして切り出したばかりのトレイルでのファーストライドは彼らにとっての最高のアクティビティーだったのだろうと、今回の作業に参加してより強く感じたのだった。

来年3月にはお披露目的なライドイベントがある予定なのだけども、それまでにあと2回ほど造成イベントが予定されているので、ぜひ愛知近郊にお住いの自称サイクリストは下記のリンク先から登録ならびに作業への参加を考えてみてはいかがだろうか? 少しずつ少しずつ、つながれていくトレイルと対峙していくこと、きっと自分の中に何かが生まれていくと思うから。 

そして決して勘違いしないでほしいのは、このトレイルは町の人々のものであって、サイクリストのためだけのものではないってことを。 そして一般の方にはぜひ知っておいてもらいたいことは自転車は街のみならず、山林における最強の移動手段であるという事実を。 また個人的な願いとして、その先にはきっとシェア・ザ・ロードと同じ意味を持つ、シェア・ザ・トレイルという言葉が浸透され、違う趣味を持つ者同士が多様性という言葉を理解した上で、まるで呼吸するように、山と寄り添い、向き合っていきたい人たちが趣味と人生を綺麗にミルフィーユさせた、”豊かな生活”がより多く生まれてほしいのだ。
 

チャリンコ活用推進研究会

OPEN INABU

長いマーケティングの甲斐もあり、僕が山に帰る準備がやっと整ったみたいだ。
 
 
Text by Shinya Tanaka
Photo by Rie Sawada
 
 

【球体ペイント価格改定のお知らせ】

 

 
日頃より大変お世話になっております。
いつも球体ペイントをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
 
2008年の事業開始より塗装料金をほぼ変える事なく、今まで事業を続けてまいりましたが、原材料費の高騰や品質向上の為の作業工程の追加によりコストの上昇が続いております。 このような状況下において、経費削減や業務効率化に努めるなど企業努力も並行し続けてまいりましたが、品質維持・向上の為に、誠に勝手ながら塗装料金の値上げをさせていただくこととなりました。
 
また、これまでは塗装済みの品を元払いにて発送してきましたが、2017年5月16日以降の依頼分からは、送料代金として全国一律1500円のご請求も加えてお願い致します。
 
*料金の改定日 : 2017年5月16日以降の依頼分より。
 

改定後のそれぞれのサービスの価格は球体ペイントのWebサイトよりご確認くださいませ。

球体ペイント / KYUTAIPAINT

今後とも球体ペイントを引き続きよろしくお願いいたします。
 
 

TO THE FOOLS WHO DREAM… / 夢追い人へ

 

昨晩はいつもよりすこし早めに仕事を切り上げて、とても見たかった映画 LA LA LANDに行ってきました。
 
先月に同じディレクターが撮ったSESSIONをみて、ディレクターが愛してやまないことと伝えたい気持ちが大量にあることはとても良くわかったのだけれども、どうしてもあのラストにつながっていく苦痛としか感じなかった描写群が自分にとっては大変で、それがどうこの新作に繋がっていくのかをぜひ確かめたかったのでした。
 
結果、この数年で見た映画のなかでも傑作の一つと言わざるをえない内容で、久しぶりにスタッフロールを最後まで見尽くすことになりました。(サウンドトラックが本当に良くて、そもそも音楽やジャズを深く嗜しなんでいない僕でもしっかりと楽しめました。)
 

 
SESSIONではどうしてあそこまで広がったジャズ・ムーブメントが死にかけていっているのかを、彼自身の経験を含めて、悪鬼迫るその描写で伝えることに成功したのだと思っていましたが、LA LAの描写では死にゆくものは決してジャズのみならず、むしろ映画や車、そして街並などの過去に様々な光をもたらしてきたものであろう、そのほとんどの物事が緩やかに死にむかっていることを提示しながら、情熱や愛というコンピュータ世代に言わせると、とてもあやふやな感情というものを、確かな理由をもたない自信として捉え、それらをもとにしたひとつひとつの小さな行動への原動力の源として、さらにはそれを着実に遂行実行することによって、今では古いものとして捉えられていた物事たちが周り巡って、未来への新たな光や気づき、そして希望になり得ると感じさせてくれ、お金をかけすぎず、古き良き正しき手順で作り上げられたマスターピースと久しぶりに出会えたことがとても嬉しかったのでした。
 
語ることは尽きないので、もし見たことのある人はサークルズに来たら僕を見つけて、映画でしゃべらナイトをしたいものですが、なぜこの話を始めたかというと情熱や愛についてすこし胸を張って書いてみようかと思ったからです。
 
先日、ハッピーという変わった名前を持つ一人の青年がサークルズを旅立ちました。 正直に話せば彼にはもう少しサークルズと名古屋自転車文化の定着のお手伝いをしてほしかったのですが、彼は浜松生まれで生粋の静岡っ子、静岡を愛する気持ちは誰にも負けないと考えている、とても一本気な男でしたから、年明けに彼から相談を受け、彼の気持ちも考えた上でなんとか限られた少ない時間の中で伝えるべきことを全部話そうと思ったわけです。なのでNAHBSも今回はキャンセルして、出来る限りサークルズにどっぷりと浸かり、今の環境や技術、そして人に対して向き合ってみた良い時間でもありました。
 

LA LAのなかでも不器用ながらも情熱一途な主人公セブに対して、ジョン・レジェンドが演じるキースというとてもスマートなミュージシャンがいました。 プロに憧れる人びとのそのほとんどが情熱や愛に満ち溢れているのだと思っていますが、実際にプロとして存在するためにはそれこそ才能だけではなく、時勢や環境という個人だけではなんともし難い事すら味方に引き入れ、さらにはそれらとどう折り合いをつけ、さらに表現へと結びつけることがとても大変なのだと表してくれたとても重要なシーンだったなと思ったわけでした。
 

彼にとって店を開く決断としてそんな情熱や愛があることは当然としても、その時勢や環境に負けないようにぜひ浜松の多くの人たちが気に留めていただけたらと、彼への感謝を込めて勝手ながら静岡の皆様にはぜひお願いしたいと思います。 さらに付け加えさせていただくと、浜松にはGREEN COGさんという自分たちの作り上げたい明確なイメージをもち、そして着実に実行に移している山本さんという素晴らしい人間もいます。 なので今年は浜松でもRIDEALIVEを開催させていただきたいと願い、実現に至りました。 そんな彼らと共闘して地方にも文化ありを世界に提示できれば、それらに感化された人々がその各々の地で、その土地でしか出来ない素晴らしい遊びをぼくらに提案してくれると信じています。 
 

そして少しだけ告知です。 来月開催されるRIDEALIVE VOL.1 MIEですが少数ながら参加枠にまだ空きがあるそうなので、ADAPT鈴鹿のキョーヘイくんが持つその山とモノへの熱量と知識、そして純粋なまでの遊びに対する貪欲さをぜひ感じ取るいい機会だと思いますので、ぜひ今まさに悩んでいらっしゃる方がいましたら躊躇なく飛び込んでみてください。 経験上、遊びの天才は絶対に裏切りませんので。
 
 

最後になりますが、いままでハッピーこと伊藤幸祐を慕って、ご来店いただいてくださった皆様に対して心より感謝を致します。 そして大人になりきれないこの僕のもとで、長きに渡り働いてくれた彼にもこの場を借りて心より感謝いたします。 

ほんとうにありがとう。 
 
ぜひ頑張って名古屋に負けない文化の種を浜松の地にしっかりと植え付けてくれることを心より望んでおります。
 
 
そして長文を最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。
 
 
 
たなか
 
 

泰安洋行をサンプリングしたり、バッハの旋律を夜に聞いてみたり、運命的な出会いをアニメにしたりしないといけない、つまりは新しい人を求め続けなければいけない。- サークルズ年暦・産みの苦しみは生の苦しみの根源編 –

 
 
バージョン 2
 
生み出すこと、それは物であっても人であってもとても困難を極める、と言われている。
もちろん現場づくりの代表的な店づくりにおいても、常にトライ・エラーという嵐の中を、なすべきことを見失うこと無く進み続けるということだと思っている。
でも実は道を見失ってみて、はじめて理解できることもあり、時には失うことも大切なのだと、のちのちのになってわかるというのもまたひとつの真実なのだけども。
かのモーフィアスも言ってる、道を知っていることと、実際にその道を歩くことは別物だと。
 
 
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個人的に人は多くの物事をひとつの小さな入れ物に入れたがることが多いのではないかと思っている。
ただ果たしてそれが実際に良いことなのだろうかと考えることも多いし、詰め込まれた意味を正しく読解すれば有益につながることだって多い。
そして短所を見つけるのは長所を見つけることよりも容易いという、一般的によく言われる論理をもとにすこし推測すると、短所と呼ばれるものを長所と捉え、それらをじっくりと発展させ、次への道へと派生させた物事は近年ほぼ皆無なのかもしれない。
 
 
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前回の話でサーリーという思想について話をしてみたのだけれども、なぜサーリーを選びたいのかと言う質問に対して、特に面白い意見や考えを聞くことは基本的にはない。そしてそれでいいとも思う。なぜなら買って使ってみる以上の優秀な回答はないのだから、そして使い切ったことのある経験者だけがその正しき答えを持っているといえるのではないのだろうか。いやらしく言うと僕らの存在価値がまだあるのだと今でも信じることもできるというわけだし。
 
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私たちは店舗がベースということもあり、買うことは常に日常の作業に含まれている。そして購買の先にある、使用という行為を繰り返すと、おのずと自分たちが販売したいと思える商品に囲まれていくことになる。そしてそれは特徴的な物もあれば、至極シンプルで質素なものになることもある。これを繰り返していくことこそが正しき店舗運営につながっていくとわたしはまだ信じていられるのは、結構幸運な方なのかもしれない。そして、そうするための必要な物をゼロから生み出さなければいけないということに、割と早い時点で気づけれたのは幸いだったのだろう。
 
  
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単純にスチールバイクの質感が好きであった若かりし頃の自分は、近所の自転車屋で組んだズノウに乗り続けていたこともあって、その意味を詳しく知ることも無く、ぼくに合うのはこんなバイクだなって勝手に思い込んでいた。そして修行が始まり、ありとあらゆる種類の自転車と戯れたことによって得た体験と結果は、早くの段階で自分自身にとって必要な答えを知ることにもなった。
やっぱり鉄が好きだってことに。
そこには様々な理由があるのだけども、一番的確な答えは作りやすい、直しやすいということだ。それはズノウに始まって多少のマスプロの鉄を知り、サーリーを知った後にナーブスに行ったってことがとても大きな理由になっている。もちろんサークルズが今の状況になっていったことにも大きく関与するのだけれども、今回はサーリーを知り、ナーブスに行った結果のシムワークスのお話をしたいと思う。
 
 
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きっかけは実はサルサだった。
リック・ハンターが最初に買ったバイクはスペシャのスタンプジャンパーだったのだけども、すぐに訳あってサルサのカスタムオーダーをすることになった。そしてわたしはシュインを買ったあとのズノウだった。リックにはサルサが必要である明快な答えがあり、わたしにはそれほどまでにはなかった。その答えへのたどり着いた早さの違いによって、彼が自転車を作ろうと思った動機となり、私は有能な売り子になろうと思った動機になったのかもしれない。
  
 


 
生み出すためには少なからずの動機がやはり必要なんだと思うのだけども、彼の場合は一般人よりもかなり背が高すぎた。わたしの場合は必要としていたパーツの製造をやめてしまった会社があったってこと。そしてもうすでに歯車は深く絡み合い、周りだしていたから。詳しく言うと、サルサがクロモステムの製造をやめてしまったときに、わたしたちはクロモリ製のステムを作らなければいけなくなっていた。それほどまでにサーリーを街中に走らせ続ける意味と必要があると判断をしていたし、そしてそれはわたしたちの美学に基づいているほうが単純に好ましかった。ただ僕たちには特にコネクションもなく、あるのは知恵と行動力だけだった。なのでそれを振り絞った結果のNITTOさんに直接お願いするという選択肢しか僕らの答えはなかった。他の様々な意味も含めて。
 
  
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様々な意味とはもう本当にいっぱいあるのだけども、ひとつを声高に言うならば、結果ドナルド・トランプと一緒なのかもしれない。ニホンにはまだまだやることも、やるべきことも、誇れることも、それでいて会話がし易いことも、そして作り続けるためには売らなければいけないということも、そして誰が何を欲しがっているかを学ぶこともあって、最後にはこれら全部をひっくるめてニホンがやっぱり好きだってことだと思う。
(やるべきことは、もう見たことや聞いたことがありそうな、二番煎じ的行動を当たり前のことだと繰り返すのではなく、自分たちにとって必要なもの、求めているもの、できること、したいこと、そしてやるべきことを的確に見極め、磨きあげていくことなのだと思う。)
 
 

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ただやはり物事はすんなりと行くのはドラマ的に面白くない。国内で会えるタイミングを見て、話をしてみるが当然のように突っぱねられ、突っぱねられ、何度も何度もあきらめずに相談したけれども決して首を縦に振ってくれない。もうこうなったら正攻法で行くのはやめ、別の国で会えるときでは時間がありそうだったことを思い出し、それを実行に移した。そんなこんなでほぼ2年が過ぎ、持っていたクロモステムのデッドストックの在庫が切れかかる本当にちょっと前に、ようやくそのテーブルに付くことが許されたのだった。(もちろんクロモのみならず、ありとあらゆるNITTO製のデッドストックを買い漁っていたのでその残り香は私たちのDiggin’the Circleに見え隠れしているはずです。)
 
 
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それからの展開や自分の中での感覚はまったく違ったものに変った。まずは必要とする物、次は必要となっていくもの、そしてちょっとした挑戦をして、また振り出しに戻る。人が買うことを想像する。売ることも想像する。作る現場も想像する。環境も未来も想像する。想像は創造を産み、創造は製造を産んでいく。そんなモノを生み出していく現場に入ってからの製造に対する産み出しは今でも大好きだし、苦になることはあまりない。一番の大きな産みの苦しみとはヒトと環境に対してだと悟るのはそう遅くはなかった。
 
 
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物を誰かのために作り出すこと、それはもちろん自分の生活のために必要なんだけども、それを考えすぎて今でもリックは苦しんでいるのだろうと憶測する。そしてそれは動機の問題なのかもしれない。わたしは喜んで物を誰かのために作り出したいと心の底から思う。これも動機の違いか性格の違いなのかもしれないのだけども。わたしたちが知っておくこととは、市場は常に変化して、たまに意味の分からない発作も起こすし、巨大な実弾はあからさまに人のマインドや行動をも壊しても行く。だからこそ本当に好きになったものを選び、その場が求める1歩進んだものを考えるのは楽しいと心底思えるし、そこまで自転車が速く走れなくても、自転車が好きでこの世界に入れたのは本当によかったし、音楽や映画や食事がたまに自転車よりもとっても愛おしく思える瞬間があることに感謝もできる。そんな全てをこんな自転車に落とし込んでペダリングをすると、きっとたのしいだろうなって勝手に想像して、行動している。こんな行動を見てくれた誰かがオレも!ってやってきてくれるともっと最高なのだけども。
 
 
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つまりなにが言いたいかって、人はそれぞれとても違うし、どんな感覚で世界を見ているかなんてそれこそ人によりけり、でも人のために想像することを楽しまなければいけない。そんな人のたちと出会うことや産み出していくこと、意志をつなげること、そのつながりの先に環境軸が生まれて、また新たな面白い人達がやって来るという周回軸も産み出していかなければいけない。それはほかの産業の若者のように、泰安洋行をサンプリングしたり、バッハの旋律を夜に聞いてみたり、運命的な出会いをアニメにしたりしないといけない、つまりは新しい人を求め続けなければいけない。そして彼らに求め続けられる環境づくりを、我々を含む関係各位は日々励まなければならないってことなんだろう。そのすべてがLIFEってアルバムにつめこまれていて、私がサークルズという名前をこの吟遊詩人からもらっているわけなのだけども。
 
 

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シムワークスとはコンセプトだ。ぼくたちのC調でアップテンポなビートに乗っかって一緒に踊って欲しい。夏目先生も言ってたように、智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい、と。そんなんだから自分の好きな自転車にまたがって、波長が合った物たちとビートに乗った人たちが自由を求めて生きたいところに行けばいい。敷かれたレールなんてそこまで必死に見る必要なんてなく、自分でレールを敷いていく、いやレールすらいらないだろう。常にオフローダーの感性で生きればいい。もしこんなコンセプトを気に入ってくれたなら、少しだけ覗いてくれれば幸いだ。そしてぼくが多くの自由を学んだ冒険大国にも飛び火して、数年後には世界とやらをこの環境軸に飛び込んできた仲間と一緒に回せたら最高かなって今は未来の創造をしている途中なのだけども。
  
 
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– サークルズ年暦・食い意地の意地とはよく言ったものでとにかく意地が大事編 -につづく。
  
 

– INFORMATION - 

 
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サークルズ10周年記念祭

場所:PLASTIC FACTORY
日時:12月3日(土) PM7:00~
10周年イベントまとめページ
 
みなさまと良き時間をすごせれますように現在ビルドアップ中です。
ぜひ手帳に書き留めておいていただければ幸いです。

賢く、健全に、正しく、そして何より、何に対しても無駄使いをさせないこと目的に、ケチであることを自認する、そんな人にぼくもなりたい。 サークルズ年歴 – レイヤードとコンテンツは裏切らない編 –

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個人的に道具と呼ばれるものに対して固執していた。
前職でも道具としてワークウェア、数々のワークウェアたちを愛していたのは紛れもない事実だ。 
 
 

  
アメリカ時代の飯の種でもあった、ビンテージと呼ばれるものに対して、ある部分のみに固執し、大部分に対し無頓着に振る舞った。(基本姿勢としてビンテージのたぐいは参考資料としてはとても興味深いものですが、それらを大枚はたいて収集するまでの勇気や欲望は持ち合わせていないのと、自身のモノ買い哲学として、今現在の最良で最上を見つけるのが一番楽しいというのが根本にあるので。)そしてそれらの道具が使われていく過程で変化する外観や、やがては壊れていくモノたち、でもそれを直し、再び使えるようにする人たちの存在、そんな道具たちに戯れるのが大好きだったいえるのだろうか。
加えてそれらは、ある特別な人達のためのみのものではなく、広く一般に対して使ってもらえることを前提に作られるものが大好きだった。
 
  
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それは扱うものが変わったとて同じくして愛情を注ぐことになった。 

サーリーというメーカーがぼくの心を捉えて離さなかった理由は色々とあって、今までも日記に思いの長けは書いてきたのだけども、年月が過ぎていくにつれて、何もかもがどんどんと代わっていくのだから、いつの時代でもどんなときにでも、同じことを繰り返し、伝え続けることが、年月というひとつの杓子を超えていく、唯一の方法だと悟った影響もあり、よってサーリーにまつわる話や考えを書いてみようとふたたび思った。 
 
 

SURLY CROSSCHECK

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今から18年前にアメリカ、ミネアポリスで試行錯誤を経て生まれた。
自転車にしか興味のない若い自転車乗りが、自転車をこよなく愛する人や、自転車をさっぱり知らない人々のために、賢く、健全に、正しく、そして何より、何に対しても無駄使いをさせないこと目的に、ケチであることを自認し、そこに自分たちの経験値をありったけ足していく。
(上記の初期型OnexOneは友人が所有する本物である。 ただ初期型と言っても2世代目だけども。 ちなみに最初期はウル覚えだけども、たしかピーコック・グルーブと一緒に製造されていたはずです。)
 

SURLY CROSSCHECK

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そのようにして考え抜かれたアイデアは、どこの誰にも真似をされにくく、もしくは真似をする行為というものがあまりにも滑稽になってしまう。なぜならばそこには真性のサイクリスト(今巷で話題なジャストライド的の)にしか知り得ない、独自的な思想、自由、そして美学が存在し、意味をわからずして、もし真似たとならば、この大きな世界の小さなコミュニーティーからとんでもない烙印が押されてしまうというわけだから。
 
 

 
他人の評価する性能にむやみに身を委ね、著名人が所有するものにコウベを垂らす。
真の豊かさや経験からは程遠い場所にある、お金であり、見栄であり、これらを表現する以上の欲がある。
それらすべての本質を知っている彼らはただただ純粋に、サドルに跨り、地面から足を上げ、美しき世界に自由を求めて、いつも漕ぎ続けている。遅かろうが、早かろうが。
それだけを信じて、己に楽しさを求めて、たぶん人が見失っている大事なことを伝えるために、そして信じる道具に託して。
 
  
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道具はいずれ朽ち果てる。そう人も同じだということも。
それを知った先にある答えとは、すなわちそれは朽ち果て方や朽ち果てさせ方が大事だということかもしれない。
ならば出来るだけ丈夫にと前もって作っておく。(体と一緒なのだ。)そして自覚がちゃんとあり、
また出来るかぎり多くのサイズを存在させる、それは人の存在が多いというイコールであり、
そして出来るかぎりの自由を道具の中に与える、それは方法は無限だと知っているから。
加えて自分のペースを守らせること、それが唯一の歩みを止めない秘訣だとも。
 
 

SURLY PACER

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彼らの行動をステレオ・レベルで伝えるとカウンタ・カルチャー、でも作り上げてきた存在はすでにカルチャー。
多くの人がはじめは鼻で笑う物事からしか、新しい文化や思想は生まれないことは歴史が証明している。 そして常に一般的に良いと思われている物事ほど、不安定であることも事実。道具は人が生み出し、それを使うことによって、次なる仕事を生み出していくはずなのだから、人が出来るだけ正確にそれを理解し、正しく利用してさえくれば、すごくシンプルに生きれるはずだと個人的に信じている。そして今もわたしはサーリーの製品以上にその思想に出会えたこと、また道具の意味に対する探求を続けていることこそが、今の自分が持っている財産だともおもっている。
 
 

SURLY CROSSCHECK

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サーリーは今やひとつのブランドになったとある人は言う。そして最近の若いお客さんとの会話の中でサーリーは高いブランドだから、みんなが乗っているから嫌だなんてこともしばしば聞いたりもする。そんな言葉を聞くたびにとてもファッション的な発想だなってちょっと残念な気分にもなるのだけど、それを乗り越えていくことこそが、確かなブランドとしての証だと思うし、やはり僕たちのできることとして、モノの意味と価値を正しく、できるだけ途切れること無く、つねに話し続けるしか無いんだとも悟るわけなのだけど。(ぼくが個人的に好きなサーリーとはアメリカの大学の構内なんかにある、生協的な生徒が経営するバイクショップで売られているサーリーで、そのアッセンブルや使われ方がとてもサーリー的。そんなことから僕たちができること、やるべきことのひとつ、コミュニティー・サポートの中心地となるべく、新店舗カルチャークラブの創造に繋がったわけなんだけども。そしてシムワークスも。この話もまたあとで。)
 
 
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会話を続けること、それが接客業における一番大切なことだと思う。お客さまが何を望み、何がしたくて、どう自己完成させたいのか、どういったものを所有していて、何を信じていて、何を食べていて、どんな人たちと交流して、そんなちょっとした情報から何を提供すべきなのかわたしの持つ引き出しを開け、お客さんの要望をより良い意味で裏切りつづけることがやるべき仕事だとも信じて。そして最後に自転車についての多少の情報を伝えて、サーリーという会社の本音を伝えるべきなら少しだけ伝えて、そしてわかってもらえる人が少なくないことにも、たびたび感動ができるのだ。
 
 

SURLY 1×1

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あらゆる物事に共通すると思うのだが、他人との接触によって、自分や物事の本質を知ることが最良でかつ手軽に、そして最高の方法であり、そして生きていく上での楽しみのひとつではないかと思ったりもする。 
だからこそ僕たちが道端に店を構えて存在できる唯一の理由だとも言えるかもしれない。
 
 

SURLY STEAMROLLER

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それなりの経験値、たとえば人一倍モノをブッ壊しながら遊び、時には辛くしんどい思いをしてまで遊び、街山の表情を五感で感じながら遊び、とにかく一生懸命に遊んだ先に、それを自分たちの表現方法に置き換えてみんなに伝えたくなる。それはたぶん遊びのための道具を提供するために、もっとも重要なスキルなのだとも信じ。この信念こそが自国のみならず、他国の多くの仲間たちとの共通認識だと感じている。
 
 
8069140484_69078f088c_kMost fo photos from Randi Jo Fablication
 
 
そして最後に、最高の道具に出会うためには、最高の人たちと出会わなければいけないのだ。 

こんな会話を新店舗にて幾度となく繰り返す、それは次の軌道へ準備段階だったのだと今振り返り、そして新たな行動への布石へと変化する。
 
 
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– サークルズ年暦・産みの苦しみは生の苦しみの根源編 -につづく。
  
 

– INFORMATION - 

 
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世間では10年で一世代なんて言うけども、時の速さは宇宙だけが決めるわけじゃないんだぜ。 – サークルズ年暦・発動篇 –

 
 
10年が一世代と一般的な社会では決めれられているし、その世代間における考え方や捉え方の違いは否が応にも感じる瞬間が自分にもあるので、僕らの過ごしてきた10年をとても大切にしておかねばと、今更ながら思ったわけです。
 
まずは今年の12月に私たちサークルズはおかげさまで10年目の誕生日を迎えることになりました。
これはひとえに日々サークルズを訪ねてくれ、そしてさまざまなお願いをしてくれたり、商品を買っていただいている、地域のみなさまのサポートによるものだと心より感謝しております。
そしてインターネットのおかげになりますが、10年以上前の世界では、なかなかリーチをしにくかった地域のみなさまにも、多くのサポートをしていただいていることも含めて、この場を借りてお礼を申し上げます。

本当にみなさま有難うございます。
 
ただ10年間においてその多くは楽しかったに違いないのですが、やはり思い出の全てが楽しいことという訳には行かず、さまざまな不勉強やそれによって引き起こされる問題などのほうが多く頭をよぎり、記憶とともにいつも反省をさせられます。
その時間は長かったと言えば長かったし、とにかく早かったと思えば早かったのですが、今回のタイトルにもあるように、その長くて早い時間をどう過ごしたかが、多くの価値を決めるのだと思っています。そしてこれからもできることなら、この世界で一番価値のある時間と呼ばれるものを、ますます有益に使いたいなと、すこしずつ老いていく自分を通して、強く感じるようにもなりました。
 
いずれにせよ今までを振り返ってみることは、有益なことだと思うところもあり、これからの数回をかけて自分が感じていた実際の気持ちを年暦と称し、文才がないなりに綴ってみたいと思います。

ぜひお暇な時にでも一読願えれば幸いでございます。
 
 

– サークルズ年暦・発動篇 –

 
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2002年夏, 長きに渡り深く愛してきた服飾業から足を洗った。 
 
アメリカで過ごした3年の日々は、さまざまな無意味なことと、意味のあることをぼくに教えてくれた。  
  
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イギリスのおとぎ話では常に愚かな種族として描かれる人間は、体験からのみ学ぶことができ、それを活かすことによってこそ、生かされるようになる。 
しかし今その一番大事な体験のほとんどが端折られ始めている状況を感じたわたしは、行動にとにかく執着することにきめた。
 
 
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お世話になった服屋を退職の後、行きつけの自転車屋に丁稚奉公を頼むが断られ、まぁいいかと毎日自転車に明け暮れ、暇ができればプールに行き、自分に出来る限りの家事をしていた。
 
一応スタッフ募集をしていた2,3の自転車屋をめぐりはするもののピンと来ない。 
まぁ飛び抜けていないものにはあまり興味がないたちなのだからしかたがない。ただ若干気になったことといえば、それらの店が結局のところ自転車が好きなのか、一体全体何を売っているのか分からずに、でも立派に商売をされているという感じ。 
 
そんな感じが街中に充満している。 
そしてそれを要約すれば、それがニホンということなのだろうか。
 
 
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しかしながら運命は急に展開する。 
たまたま行った老舗店に人員の空きが出たのだ。 とにかく日本一の安売り店として有名なその老舗に対し、わたしは好奇心と未来を見つけた気がした。若かりし頃の自分はパイオニアリングとクオリティーにしか興味がなかったのだが、すこしだけ経験を積んだことによって、それとは真逆の思想に触れ、体験してみることが未来への一番の近道ではないかと感じたのだった。 
そしてようやくこの業界に滑り込むことが出来、20代も足早に過ぎようとしていた。 
 
 
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自転車の売り方を知る由もなかった自分は、まずは認めてもらえるようにと、せっせとダサい日本製やイタリア製のジャージを売りまくった。 
個人的には腕を通すのも気がひけるものだけど、人は安値の謳い文句につられて買っていく。 
なんでかなぁと思いつつも、仕事は仕事、とにかくできることを粛々やればいい。
  
 
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でもそこで出会ったデービットはとてもクールだったことを思い出す。 
当時はアソスを卸していたのだけども、とにかくその売り方も、物はこうあるべきであるということを貫いていた。そしてやはりブランディングの意味もよく知っていた。それでもアソスを店頭に並べようとしない店があるなんて、ある意味信じられなかったけど、とにかくこのブランドを定価ながら徹底的に売ってみることにした。そして定価販売にも関わらず、とにかくそれはよく売れた。 
低価格を目的に来店されるお客でも、意外に値段以外にもいろいろと興味はあるってことと、これまでまったくもって人を馬鹿にしすぎていた自分が本当は一番馬鹿だったってことを認識できたいいタイミングでもあった。 
  
 
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時は同じくしてサンフランシスコのクールなサイクリストたちが、シーズンオフ時のファンライド用に組み上げた、フラットバー・シクロバイクを、スコットバレーの巨人が参考にし、それをクロスバイクと名付け、馬鹿売れし始めていた。その完成車を毎日大量に組み立て、精度の悪いロー・グレードのシマノやカンパを扱うことの楽しさと、そのモノ自体のあり方の多くを知ることにもなり、販売実績がある老舗だからこそ短期で多くを学ぶことが出来たと思う。
と同時にぼくの悪い癖も出始め、本当に知るべきことの追求にしか興味がなくなりはじめ、自転車という道具が持つ本質的な意味にしかいっさいの興味がわかなくなっていた。 

ニホンはあまりにも無知で、全くと言っていいほどのチャレンジ精神というものが不足しており、さらには競争が好きな業界にも関わらず、談合的な何かが生み出している競争の皆無などに対しての多少の嘆きはあったのだけども、自分には自分のやるべきことも、己の未来もあると信じて行動を起こすことに決めた。
 
 
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前職の服飾で学んだことはとても多く、そして大きかった。 
ただ単純にそちらもある種の生温るさとファッションの定義が年老いていく感じや、消費者が求めるのもが年々同じものになっていっていた。(ただ、今考えると、どちらの居場所にいたとしても一緒のことを思っていたのだろう。)
若者の特権である生意気さを振り回して、自分勝手ながらに客と向き合うことを、もっと意味あるものにしたかったのかもしれない。
 
店を始めると決めてからサンフランシスコオレゴンにはもう年明け早々に連絡をしはじめていた。 
まだ雇われの身であったのだけども、店が休みの日には、イオンの前やラシック、大須のアーケード前に3〜4時間張り付きながら人間観察兼リサーチし、そして自転車で街を徘徊しながらじっくりと店舗を見定め、最終的に氏神様に工事のお祓いしてもらったのが2006年10月。 
 
 
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しだいにフィリーやカナダ、日本国内のぼくが思うクールなサイクリストに連絡をひたすら取り続けた。 
当時取扱いがニホンでなかったSOMAを50本直接SFから飛ばし、マイク・デサルボには3本のハンドメイドバイクをオーダー、海外とのやり取りから運命的に出会うことが出来た市川の湊さんからは大量のメッセンジャーバックを仕入れ、自分が着なくなった衣料を全て山本さんに送り、7分丈のパンツやバックポケット付きのシャツに仕立て直した。 ステッカーはチープながらインクジェットで自作し、値札にした。F店で知り合ったリアルメッセンジャー・イズルにも声をかけ、開業準備手伝ってもらい、彼の電話機を店内に設置、そして未来のアーティストにメカニックルームを落書きでよごしてもらったときはある意味の最高沸点、もちろん新聞折込チラシも用意した。 
 
そしてオープンの当日2006年12月1日朝、ぼくの声が失われた
 
 
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多分ストレス性の何かなんだったと思うけど、とにかく声が出ないのだ。 
口だけで生きてきたとも表現できる自分にとって、こんなスタートはあるのかと正直焦った。
先にも上げたのだけどもお祓いをした理由はそれなりにあって、借りた店舗は以前古着屋だったのだけども、そのオーナーさんは開店前日に交通事故で死んでいた。あまりビビりじゃない方なのだけども、流石にマジでビビったので裏の氏神様にお祓いをお願いしていたのだった。まぁ生命があっただけマシだと今では思えるのだけども。 
 
 

 
兎にも角にもオープンだ。 
仕入れたフラッカーズはほぼ原価に近い状態で設定、チラシもすでに配っている。 近隣の自転車店にはじゃんじゃか文句を言われた丸石の営業さんには悪いことをしたけど、こっちも必死だ。(そして丸石は中国の会社であり、もう無いと言ってもいいので時効だろう。) 
出ないながらも振り絞って出すちぎれ声と身振りで、最低3時間で売り切ろうと思っていた5台がものの30分で売り切れた。 
これまでやった色々なことが血肉に染み渡っていることを実感できた。 
あとはひたすらパンク修理とタチ交換がやってくるのを待てばよいのだ。 
 
 
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でも現実はぼくの思いとはまったく違う方向に転がり始めていた。 
過去には大変乗りにくいダウンヒルバイクが青山に大量に溢れた時代もあった。いわゆるバブル期だ。
そして回りめぐる流行によって自分の立ち位置なんて見る必要もないキッズたちは、再度やんわりと自転車に目をつけ始めていた。ほとんどの業界人はその事実を認識していなかったこともあり、まぁしょうがないなとあの老舗店にコンタクトを取り、ありったけのピスト・フレームを手に入れたのだけれども、さまざまな胸騒ぎとジーパンを探し求めていた10年前の記憶から、それは自分のしたいことではないと直感的に気づいていた。 
 
機能自体には道具の本質的実態はないという答えにたどり着いていたこともあり、我が心の名機スチームローラーを、この時とばかりに徹底的に売ることに尽力した。 そう、まるであのビブショーツのように。 
そしてこの先の10〜20年の未来のためにも。 
そしてそれはクロスチェックへとつながり、サーリーというブランドを世間は否応なく知ることになったと確信している。 (この話は次回にとっておく。)
 
 
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3年間はあっというまに過ぎていく。 
 
 
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ちょっと変わったまっとうな人間がサークルズをいつも通り過ぎていく。 
 
 
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12坪の旧店舗はあっというまに手狭になり2人の売り子と4人のメカニックは店から溢れ出ることになっていた。
 
 

 
土木事務所と警察から電話がなる、2ちゃんでホモショップ扱いをされる。(その御蔭でやっと生粋のサブカル嫌いになれた、宮崎さんや富野さんと同じくらいに。感謝してます。)
 
 
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ナッツ(アーバン・オリエンテーリング)はせっせと毎月やっていた。  
 
 
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そこで出会ったカップルが毎年結婚していく。
 
 
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自転車がりっぱな出会いのきっかけになりえると確信する。 
 
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運命は自分と同じ誕生年月のビルをぼくに届けてくれた。 
 
 
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そんな2009年がもう終わろうとしていた。 
 
 
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(サークルズ旧店舗最終営業日/撮影者 落合)

 
 
– サークルズ年暦・レイヤードとコンテンツは裏切らない編 – につづく
  
 

– INFORMATION - 

 
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若いながらも歴史あり。

 

サトちゃんが死んだ翌年、ぼくは日本に帰ってきた。

 

アメリカでフィッシュマンズを知り、

ロングシーズンをあきることなく何度となく聞き返して、

過去へ過去へとさかのぼり、

サトちゃんの若かりし純粋さに触れ、次第に変化していったであろうその思考を推測し、

世の無常とあきらめきれない人間への賛美に感化させられ、

あぁ日本人でよかったなぁってアメリカでほんとうに思った。

 

だから帰ってきたって大袈裟に言ってもいいかも。

でも彼は死んでいた。

 

サトちゃんのいないフィシュマンズなんて聞くもんかって意固地になっていた時もあった。

でもね僕は間違っていた。

 

いた。

 

現場にはサトちゃんいた。

伝えたい言葉や思いは、理解者の口から飛び出せばしっかりと機能する。

あらためて思った。

 

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良くも悪くも僕もいいあきらめがついている方だと思うけど、

あらためて昨日のライブであきらめについて考えたし、その素晴らしさすらを感じた。

そして進化は大事だった。  

もう超絶的に。

人間は洗練され、解釈は深まり、喜びに対する執着も増したんだろう。

 

最高だった。 

比べる必要はないけどオザケンよりも感動した。

マジで。

今日の大阪も行きたいゼップ。 関西の人行っときなよ。 

チケットあるらしいから。

 
 

幸せ者
「この世の不幸は全ての不安 
この世の不幸は感情操作とウソ笑いで
別に何でもいいのさ

みんなが夢中になって 暮らしていれば 
みんなが夢中になって 暮らしていれば
別に何でもいいのさ

彼女のことだけを よく知っている 
そして音楽が胸の中でいつでも鳴っている

彼女のことだけをよく知ってる 
そしていつだって夢の中まで追いかけてくる

そんな感じでいい そんな感じでいい」