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「週刊 球体の作りかた」Vol.4

趣味と特技の違いって何?

趣味と特技って似ているようで、実は全然違うもの。よく面接のときに「この2つの違いを教えてください」と質問させていただくことがありますが、あまり明確な答えを返せる人は少ないように思います。そこで、私なりに簡潔に整理すると、

  • 趣味はお金を払って楽しむもの
  • 特技はお金を得ることができるもの

この考え方で整理すると、自分が普段やっていることが「趣味」なのか「特技」なのかがわかりやすくなるかもしれません。

例えば、ロードバイクを買って週末に気ままに走るのは趣味。でも、その知識や経験を活かして、自転車のメンテナンスを教えたり、レースなどのコーチングをしたりすれば、それは特技になるかもしれません。

この視点を持つと、自分の人生の中で「どこに時間やお金を使うのか?」がクリアになってくるはずです。


経済学的に見る趣味と特技

経済学の視点で見ると、趣味は「消費活動」、特技は「生産活動」にあたるのかもしれません。

お金を払う(消費)お金を得る(生産)
趣味映画鑑賞、旅行、ゲームプロレベルのゲームスキル、写真販売、イラストを描く
特技なし(そもそもスキル)料理、プログラミング、楽器演奏

最近はSNSやYouTubeのおかげで、趣味を発信しながらお金に変えることができる時代にもなりました。例えば、カメラが趣味の人が写真をインスタに投稿して人気になり、やがて仕事につながることもあるかと思います。

つまり、趣味と特技は固定されたものではなく、状況によって変化するものでもあると言えるでしょう。


哲学的に見る趣味と特技の意味

では、趣味と特技の違いを経済価値だけで決めるべきなのでしょうか? ここでは哲学的な視点から紐解いてみたいと思います。

哲学者アリストテレスは、「人間の幸福はエウダイモニア(良き生)にある」と述べました。これは単なる快楽という意味ではなく、人がその能力を最大限に発揮し、社会に貢献することで達成される幸福の形です。趣味と特技の関係も、この「良き生」という視点で考えることができます。

  • 趣味は自己満足の探求・追求であり、内的な充実をもたらす
  • 特技は社会的な価値を生み出しやすく、他者との関わりを深める

つまり、趣味は「個人的な喜び」を提供し、特技は「社会との接点」を生むと捉えることができます。この観点からすると、趣味と特技のどちらが重要かという議論は意味をなさず、むしろ両者のバランスが重要だということがわかるはずです。

例えば、特技を極めて収益化できたとしても、それが自分の楽しみを奪うものになってしまう場合、それは幸福とは言えないかもしれません。一方で、趣味ばかりに没頭して経済的な安定を失うことも、大きな問題であるのは明らかでしょう。

つまり、哲学的に言えば、趣味と特技のバランスをどう取るかが、その人の人生の豊かさを決める要因となると言えます。


趣味と特技をどう活かす?

① 趣味を特技に進化させる

好きなことを突き詰めれば、それが特技になり、仕事になることもあります。例えば、

  • コーヒー好き → カフェを開く
  • DIY好き → 木工職人になる
  • サイクリング好き → 自転車イベントの運営をする

好きなことを仕事にできるのは理想的ですが、その過程で「趣味の純粋な楽しさが失われる」リスクもあることは忘れてはいけません。

② 趣味を趣味のまま楽しむ

すべての趣味を仕事にする必要はありません。あえて収益化せず、純粋な遊びとして楽しむのもとても大切なことです。お金とは無関係に「ただ純粋に楽しいからやる」という時間も、人生には必ず必要です。

③ 特技を社会に還元する

また、自分が身につけた特技を活かして、社会の役に立つこともできます。

  • ギターが得意 → 子どもたちに無料で教える
  • 料理が得意 → ボランティアで食事を提供する
  • プログラミングが得意 → フリーのツールを作る

特技を使って何かを生み出し、それが誰かの役に立つと、自分自身の満足感も大きくなります。


結論:バランスが大事

趣味と特技はどちらが良い・悪いではなく、結局はバランスが大事だと言えるでしょう。

  • 趣味だけだと、お金は減るが純粋に楽しい
  • 特技だけだと、お金は増えるが疲れることもある

人生の充実は、この二つのバランスをどう取るかにかかっているのかもしれません。趣味を深めて特技にするのもよし、あえて趣味を趣味のまま楽しむのもよし。自分にとって心地よい形を見つけることが、人生を楽しむために一番大切なのかもしれません。

長くなりましたので今回はこれくらいで、また来週お目にかかりましょう。ごきげんよう。

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田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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