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「週刊 球体のつくり方」Vol.16

かつて、ソーシャルだったころに
ー自由主義の終焉と、意志のかけら

先日読んだニュースの中で、アメリカ連邦取引委員会(FTC)がMETAを独占禁止法違反で起訴している裁判について触れられていました。

その証言の中で、マーク・ザッカーバーグはこう語ったとされています。

「ソーシャルネットワークは、もう終わったんです。」

その言葉を目にしたとき、言いようのない違和感がわたしの中を駆け巡りました。

それを始め、世界を変えてきた張本人が、まるで観察者のように、遠くから“終わり”を語っている。
あるいは、終わったふりをして、また新しい名前で何かを始めようとしているのかもしれない。
そう思うと、本当に、言葉では言い表せない奇妙さがそこにはありました。

けれど、たしかに「何か」はすでに終わっていたのかもしれません。

人と人とが“つながる”ということの意味が、気づかぬうちに、言葉のないかたちで設計図へと埋め込まれていった時代。
そんな時代のまっただ中に、わたしたちは、もうすっかり生きているのだと思います。


ソーシャルは誰のものだったのか

かつてFacebookやInstagramが、本当に“ソーシャル”だったころ。
そこには、「誰かが何をしているか」をただ知る、というささやかな、けれど心あたたまるような喜びがたしかに存在していました。

旅先の写真、夜更けのひとこと、意味のないスタンプのやりとり。
それらは、川辺でぽつぽつと交わす会話のように穏やかで、それでいて、人とのつながりを確かに感じさせてくれるものでした。

けれど、その川はやがてせき止められ、水の流れはアルゴリズムによって制御されるようになっていきました。
「あなたが見たいもの」ではなく、「あなたが反応しそうなもの」や「話題になっているもの」ばかりが優先されるようになった。

気づけば、友人たちの声は静かに姿を消し、画面にはAIが選んだ“誰か”の情報が、わたしたちの意思とは無関係に映し出されるようになっていたのです。

ザッカーバーグ氏の語った「終わり」とは、こうした設計の積み重ねが導いた、ある種の自然な帰結だったのかもしれません。
それを終わらせたのはわたしたちではなかったけれど、気づかぬうちに手放していたのも、また、わたしたち自身だったのかもしれません。


自転車文化における、もうひとつの自由の話

思い返せば、自転車の世界にも、よく似た変化が起きていたように思います。

2000年代初頭、ピストやシングルスピードの文化が都市に広がりはじめたころ。そこには、誰の真似でもない“自分のかたち”が、たしかに息づいていました。

それは、トリックやファッションといった表面的な流行ではなく、「自分の足で進む」という意思を、自転車という道具に自由に投影する、個人的な実践でした。

ブレーキの取り付けられないフレームに、(現代風に言えば)古着を選ぶような感覚で組み合わせたパーツ。

その道具を用いて都市を自分のリズムで駆け抜けていく姿は、誰かの評価を求めたものではなく、誰のためでもない、まぎれもない“自分の自転車”だったように思います。

そしてそこには、まだ「自由」という言葉が生きていたのだと思います。


資本が変えてしまった構造

けれど、その輝きもまた、やがて「売れる商品」や「売りやすい製品」へと姿を変えていきました。

メーカーを含む大小さまざまな企業が、大量生産の完成車を海外で作りはじめ、雑誌は巻頭で特集を組み、“ストリート風ピスト”は、専門店から量販店へと、並ぶ棚を移していきました。

自由とは、本来、選択肢として「売られる」ものではありません。
かたちだけが残され、中身が空洞になってしまったとき、人はそれをもう“文化”とは呼ばなくなるのでしょう。

そしてその流れは、静かに、けれど確実に、あのムーブメントを“懐かしむだけの記号”へと変えていきました。


生き残るのは、誰の意志か

ソーシャルネットワークも、ピストカルチャーも、その出発点には「誰にも支配されていない自由」がたしかにありました。
けれど、その自由は収益を生まない設計として、資本の論理に取り込まれる中で、少しずつ排除されていきました。

人間的なものは、“構築可能な仕組み”へと変えられていったのです。

だからこそ、わたしは自分に問い続けていたいと思っています。
文化は、お金だけでは守れません。
最後まで文化を支えるのは、強い“意志”だということを。

便利で効率的なものに、すぐには勝てないかもしれません。
けれど、時間をかけて育てた愛着や、名前もついていないような誇りが、誰かの心に残っている限り──
文化は、たとえ死んだふりをしてでも、きっと生き延びていくと、わたしは信じています。

わたしは、そうした“意志”のかたまりへと向かっていくことを、自分で選び取りました。
そしてそこで、遊びながら、まっとうに生きていきたいと願っています。

お金にあまり縁がなくても、
流行に置き去りにされたとしても、
それでも、回転を止めることのない──

そんなペダルパワーを、わたしは信じていたいのです。

かつて、ソーシャルだったころに。

そこに確かにあったつながりや、やりとりや、ささやかな意思表示の数々を、もう一度、自分の力で、自分の目で、確かめに行きたくなるような、そんな昔語りを、わたしはまだ信じています。

愛するものごと──わたしにとっては自転車なのですが──と、自然に重ねながら。

あの頃の“つながり”を、いま一度、わたし自身の意志でつくりなおしていくために。

それでは皆さんごきげんよう、また来週お会いしましょう。

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田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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