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「週刊 球体のつくり方」Vol.23

厚みという名の希望

甲子園も終わり、夏の終わりがちらほらと見え始めてきました。
高校球児たちの姿に、費やしてきた時間や、青春のなかで諦めてきたことなどを想像すると、とても胸が熱くなります。


そう感じるのは、少しだけ歳を取った証拠なのかもしれません。
そんなことを考えながら、今回の問いかけを始めていきたいと思います。

あなたの暮らしの中にある、かけがえのないモノとは何でしょうか。
そして、それはどうしてそんなに大切なのでしょうか。

長く乗り続けた自転車、使い込まれた道具、何度も読み返した本。
ボロボロになっても手放せないのは、そこに積み重なった時間や、人とのやりとりというストーリーがあるからではないでしょうか。

競争という、わたしたちが信じてきたもの

学校でも社会でも、わたしたちはずっと「競争は人を成長させる」と教えられてきました。
でも、本当にそうなのでしょうか。

結果がすべて、効率が最優先という近年の社会の空気感に、わたし自身は長い間、違和感を抱いてきました。

人々は成果や結果を出すために、驚くほど他人の動向を調べ、リサーチを惜しみません。
膨大な情報を集め、分析し、再現する。その真剣さは確かに学ぶべき姿勢です。

けれど、その後の「扱い方」には首をかしげてしまうことがあります。
誰かの営みから得たアイデアを、その背景にある歴史や努力への敬意なしに、あたかも自分のもののように展開してしまう。
そうした光景に出会うたび、このような社会の在り方に対して疑問が浮かぶのです。

ある哲学者は、人間の営みを「労働」「仕事」「活動」に分けました。
効率や成果だけを追い求める社会が奪っているのは、人と人との関係性という「活動」の厚みなのではないか。
そう教えてくれたことを、まさに今思い出すのです。

洗練が持つ光と影

特に都市圏には、与えられたアイデアをより美しく、市場に届きやすい形に整える「洗練させる力」があります。
その力は、アイデアを遠くまで飛ばす翼のようなものでしょう。

けれども、その翼はときに風にもなります。風は文脈を吹き飛ばし、物語を削ぎ落としてしまうこともしばしばです。

思想家ボードリヤールが語った「シミュラークル」、本物を持たない模倣が現実を凌駕する現象とは、まさにこのことかもしれません。

洗練が文化の軽さを生んでしまう瞬間を、みなさんも何度も目にしてきたはずです。

厚みの意味とは

しかしながら、姿形は真似られても、厚みまでは届かない。
そこに社会の面白さがあるのだと、最近は思うようになりました。
では、厚みとは何でしょうか。

わたしはそれを、時間と、人と人との往復の積み重ねだと考えています。

サークルズには、10年以上乗り続けた自転車を修理に持ち込まれることがよくあります。
塗装は剥げ、パーツもすり減っています。
けれど、わたしたちはそれらを分解し、磨き、必要な部品を交換して、再び組み直します。

修理を終えて自転車を引き渡すとき、多くのお客様が「新品の時よりも愛着が増した」と話してくれます。
モノが時間を吸い込み、関係を蓄積し、ただのモノを超えて物語になっていく。

この感覚こそが、厚みというものが持つ希望なのではないかと考えています。
そしてみなさんにとって「厚み」を感じる瞬間は、どんな時なのでしょうか。

遅さという選択肢

厚みとは遠回りの別名であり、遅さの別名かもしれません。
効率を重んじる社会では軽視されがちですが、文化を支える基盤は、まさにこの遅さにあります。

哲学者ドゥルーズとガタリは、それを「リゾーム」と呼びました。
地下に広がる根のように、見えないところで人と人をつなぎ続ける営みの比喩です。

修理に時間をかけること。
理由を自分の言葉で伝えること。
関係を何度も往復させること。

効率の観点から見れば遠回りに映るでしょう。
けれども、その遠回りによってしか文化は厚みを持たないのです。

厚みという名の希望

カオスと模倣が世界を覆っていく中で、わたしたちには「手」があります。
自分の手で触れ、直し、繰り返し、積み重ねる。
その温度を確かめ直すことで、文化を軽くせず、暮らしを薄くしないようにできるのではないでしょうか。

わたしたちは厚みという遠回りを選ぶことを、忘れないようにしたいと思っています。

厚みとは遅さの別名。
そして遅さとは、未来への希望の別名なのです。

それではみなさんごきげんよう、また来週お会いしましょう。

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kyutai
田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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