アンレーサーの灯 : 2章
リーベンデール ― 孤独な灯を守る

グラント・ピーターセンがブリヂストンUSAで成し遂げたことは、間違いなく画期的でした。しかし同時に、大企業の一部門である以上、彼が本当にやりたかったことのすべてを実現することはできなかったのではないのかと、わたしは推測します。
在庫数や利益率、経営陣の方針、そして為替という荒波。ブリヂストンという巨大な枠組みのなかで、思想を最後まで突き詰める自由はとても限られていのではないかと思います。むしろ、XO-1のような異端の傑作が生まれたのも奇跡的であり、むしろ「これ以上は許されない」という限界の証でもあったのかもしれません。
だからこそ、ブリジストン撤退ののちに彼が選んだ道は必然だったのでしょう。制約を取り払い、思想を守るための会社を自分で作るということ。ブリヂストンでは叶わなかった夢を、もう一度ゼロから実現する場所。それが、1994年に自宅ガレージから始めた Rivendell Bicycle Works でした。
Just Ride ― ただ乗ること
Rivendellの思想はきわめてシンプルでした。
「Just Ride(ただ乗る)」。
速さや競争を否定するわけでは決してありません。しかしそれはごく一部の人たちの領域であって、多くの人にとって自転車は、もっと日常的で、もっと身近で、もっと長く寄り添う存在であるべきだ、と。
彼が手がける自転車は、当時流行の新素材カーボンやアルミのトレンドとは真逆でした。ラグ溶接のスチールフレームにこだわり、ホイールベースも長く、タイヤクリアランスも余裕をもって太めのものが履けるフレーム設計。ロードとツーリングの境界をゆるやかにまたぎつつ、どんな道でも安心して走れる。そして「美しさとは、道具としての誠実さからにじみ出るもの」そんな哲学が宿っていました。
Rivendell Reader ― 読ませるカタログ

Rivendellがさらに特異だったのは、ただ自転車を作っただけではなく、「思想を文章として届けること」にとても熱心だった点なのだと思います。
季刊誌 Rivendell Reader は、製品カタログであると同時に随筆集でもありました。そこには技術的な解説に加え、文学や日常生活の断片、時には料理や自然観察にまで話が及びます。
たとえば「23Cタイヤ信仰をやめて、32C以上にしよう」と熱弁する記事、「古いフロアポンプの分解修理法」、さらには「白シャツのボタンダウンは自転車にも似ている」といったエッセイにまとめられています。読者はただの顧客ではなく、共通の思想を分かち合う仲間となっていきました。
余談ですが、わたしが速さ(強さ)にあきらめたのちに、こよなく愛した自転車雑誌とは、廃刊時までサークルズに置き続けていたNew Cyclingだったということを付け加えておきます。
代表モデルたち ― Atlantisを中心に
現在の人気については詳しくはわかりませんが、当時のRivendellを代表するモデルといえば、やはり Atlantis(アトランティス)だと思います。1999年に登場したこのフレームは、「一台で何でもこなせる」ことを目的に設計されました。

- スチールフレーム+ラグ溶接:丈夫で修理可能。長く自転車を使うための基本中の基本。
- 太めのタイヤが収まるクリアランス:32mmから50mmに近いものまで、道を選ばず舗装もダートも文句を言いません。
- ラックやフェンダーの台座:荷物を積んでツーリングもできる安心設計。
- 落ち着いたジオメトリ:長いホイールベースで直進安定性が高く、日常使いからロングツーリングまでいつでもだれでも安心。
Atlantisは「どこへでも行ける万能車」として、多くのライダーにとって“人生最後のフレーム”になり得る存在でした。
他にも多くのユニークなモデルがありました。

- Quickbeam:シングルスピードのロードツーリング車。変速の煩わしさを排し、自転車に乗る純粋な感覚を追求したのでしょうか。

- Saluki:650Bホイールを採用したツーリング車。まだ650Bが世間一般には普及されていなかった時代に、この規格の快適さを提示しようとした野心的挑戦作。
これらは商業的には決して大量には売れませんでしたが、思想を深く体現するモデルとして、業界内のコア層に強い影響を残したことは、今の世界の動きを見ればきっと理解できると思います。

パーツへの偏執的こだわり
グラント氏のこだわりはフレームだけにとどまりません。
- ハンドルバー:深すぎないドロップ、握りやすいブラケット位置。我らが日東へお願いをしてカスタムモデルを製造することもしばしば、日東吉川社長からもいっぱい話は伺っております。
- タイヤ:太いほど快適で安全と信じ、32C以上を推奨。ロード全盛期の23C至上主義とは真逆の姿勢を貫きます。パナさんとも一時期共闘をしていました。
- パーツカラー:黒よりもシルバーを好み、「クラシックな美しさはアルマイトの銀に宿る」と断言していたことは有名です。彼らのオフィシャルサイトに行けば一目瞭然。
- フェンダーやラック:実用性の象徴として積極的に推奨し、「雨でも走れることこそが自転車の自由だ」とも書きました。
こうした細部への徹底した美学は、のちに話としてつながりだす、Surly や SimWorksが広げたいと思う「実用美」の根源にもなっています。
経営のリアルと孤独な灯
Rivendellは、大量生産とも大規模流通とも無縁でした。スタッフは数名、フレームの在庫も数十本単位。経営は常にギリギリで、ニュースレターには「次号が出せるかどうか分からない」と冗談めかした一文がしばしば登場していたといいます。
しかし、その冗談の裏には本当の切迫感があったのだと思います。それでも、熱心なファンたちは彼の書くカタログを読み込みあさり、通販でサポートを続け、掲示板で語り合い、孤独な灯をなんとか支え続けました。
その当時を想像すると、きっとRivendellはまるで、暗い森の中にぽつんと灯る小さなランプのような存在だったのだと思います。その光を求める人々は、何かあれば、はるかかなたからでも集まり、静かに熱狂し、また別の場所へ思想を伝えていったのでしょう。
次の灯への橋渡し
こうしてグラント氏は、ブリヂストンでは実現できなかった夢をリーベンデールで守り続けました。しかしその当時では灯はあまりに孤独で、小さな範囲にしか届かなかったのでした。(現在はご存じのように、インターネットを正しく活用し、世界的な有名店となったブルーラグが火付け役となり、サイクリング界では知らない人はいないといえるブランドについになりました。)
一方、同じ90年代後半、アメリカ中西部では別のアプローチが芽生えます。個人の美学に根ざしたRivendellとは対照的に、より多くの人々に「頑丈で、手頃で、多用途な自転車」を届けようとした集団。
それが、Surly(サーリー)という反骨の群れでした
今回もまた長くなってしまいました。好きなこと話しだすとどうしてもこんな調子になってしまうのですが、この続きもまた、来週の球体のつくり方でお伝えしようと思います。
それでは皆さんごきげんよう、また来週お会いしましょう。