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「週刊 球体のつくり方」Vol.27

アンレーサーの灯 : 三章

Surly ― 反骨精神の群れ

1990年代後半、アメリカ中西部ミネソタ州ミネアポリス。雪深い冬景色と大きな湖の街。ここで、のちに世界中の自転車文化を揺さぶることになるブランドが立ち上がりました。

その名は Surly(サーリー)
意味はもうみなさんご存じの通り「不機嫌」「愛想なし」、その名前からしてすでに漂う反骨の気配こそ、彼らのすべてを物語っていると思います。

誕生前夜 ― パーツから始まった物語

Surlyは最初からフレームブランドだったわけではありません。むしろ出発点はもっと地味で、もっと実用的なものだったと言います。

1990年代のアメリカでは、MTBが猛烈な勢いで進化を遂げていました。アルミフレームの軽量化、フルサスペンションの進化、24〜27段の多段変速システム。カタログをめくれば「最新」が踊り、ショップにはテクノロジー競争に熱をあげるバイクたちが並んでいました。

しかし、アメリカ最大の卸売業者である QBP(Quality Bicycle Products) の社員たち(ハードコアサイクリスト)は、そのカタログを眺めながら違和感を抱いていました。

「自分たちが本当に欲しいバイクが、もうどこにもない…」。

彼らが求めていたのは、シンプルで頑丈、そして壊れても直して使い続けられる鉄のフレームでした。ところが市場にはそうした選択肢が乏しく、ライダーたちは中古フレームを改造してシングルスピードに仕立てたり、部品を寄せ集め、パパチャリを作って遊ぶしかありませんでした。

そんな不満を糧に、QBPのスタッフはまず パーツ作りに手を伸ばします。

とくに「シングルスピード化」には、チェーンのたるみを処理するテンショナーや、専用のコグが不可欠でしたが、当時それを量産しているメーカーはほとんどありませんでした。そこで彼らは自作し、テストし、やがて商品化していきます。代表例が Singleator と呼ばれるチェーンテンショナーでした。

「ないなら作る」。
 
このDIY精神こそが、後にSurlyというブランド全体を貫く哲学になっていきます。

シングルスピード・ムーブメントの追い風

1990年代前半、西海岸やコロラドを中心に「シングルスピード・ムーブメント」が静かに本当に静かに広がっていました。
変速を削ぎ落とし、たった一枚のギアで山を登り、街を駆け抜ける、効率よりも楽しさとタフネス、もっとかみ砕いて言うと「くだらなさ」を重視する文化とも言えるのでしょう。

この潮流にQBPの若いスタッフたちは強く共鳴しました。彼らは社内の余白を使ってフレーム製作を企画し始めます。
「頑丈な鉄のフレームを、手の届く価格で。遊び倒して壊れたらまた直して、また遊べるように、また壊れたら、安いからまた買える」。

こうして1998年、匿名的な商社スタッフの集合知によって誕生したのが Surly でした。 Rivendellがグラント・ピーターセンという強烈な個人の哲学から生まれたのに対し、Surlyは「顔のない反骨集団」として立ち上がったのでした。

1×1 ― シンプルの逆襲

Surly最初の量産フレームは1×1(ワンバイワン)

クロモリスチールの頑丈さ、シングルスピード専用設計、そして当時としては大きめのタイヤまで飲み込むクリアランス。軽量化・多段・サスペンション全盛の時代に、1×1は“遊ぶ自由”へと回帰しました。街でウィリー、トレイルで泥まみれ、バイクポロでぶつけ合う、そして壊れても直してまた走りだす。「鉄フレームがあれば何でもできる」を、最初の旗艦が体現したのです。

Cross-Check ― なんでも屋の鉄馬

続いて1999年に登場したのが Cross-Check

このモデルこそ、Surlyを世界に知らしめた存在。現にサークルズもこのモデルの意味を正しく理解できたために、本当に多くのコアなサイクリストを生み出すことができたと思っています。

ロード/ツーリング/シクロクロスの境界をまたぎ、700Cで太め(~45C級)、フェンダー&ラック台座を標準装備。結果、通勤、買い物、シクロクロスレース、長距離ツーリング、「何でもできる」という自由さで瞬く間に世界に広まりました。

メッセンジャーは仕事道具として使い倒し、学生は通学に、ツーリストは大陸横断に。のちに「グラベル前夜の名車」とも評されることになります。

Pugsley ― ファットバイクの祖

※写真のバイクはPugsleyから派生したMoonlander

2005年、Surlyは世界を再び驚かせます。Pugsley(パグスレー) の登場です。雪原・砂浜・泥――通常のバイクが無力な場所で走る自由を普及価格帯へ。Pugsleyは量産ファットバイクの嚆矢としてカテゴリーを大衆化させたのでした。アラスカの雪原、オーストラリアの砂漠地帯、パタゴニア、日本の雪原、「自転車で行ける場所は、まだ無限にある」と世界中のハードコアサイクリストにさらななる想像を膨らまさせることになったのです。

黒塗りスチールとユーモアの哲学

Surlyのフレームの最初期は徹底して黒塗装(安価なパウダーコート)のクロモリが基本でした。

多くの他者が打ち出していた、軽量性や高級感とは真逆。しかし、黒いスチールには「無骨な誠実さ」が宿っていたとわたしは感じていました。

先の挙げたようにSurlyの広告やカタログでも異彩を放ちます。

「レース用じゃない? だから何だ」
「俺たちは不機嫌。 でもバイクは最高」

そんなコピーを堂々と載せ、時に冗談交じりの図解やマンガを挟み込む。これは、ブリヂストンUSA~Rivendellで培われた“読ませるカタログ文化”からの学びも感じさせます。

高級ブランドが気取った言葉で自転車を飾り立てるのに対し、Surlyは笑いと毒舌でハードコア・アンレース・ユーザーとつながる選択肢を選びました。

DIYカルチャーと群れの拡大

Surlyは製品群にとどまらず、文化として膨張していきました。
メッセンジャーたちはCross-Checkで都市を駆け、ステッカーで個性を主張し、バイクポロのプレイヤーは1×1を酷使しては直し、また遊びだし。冒険家たちはPugsleyで雪原や砂漠を越え、「自転車で行ける場所はまだ無限」を証明していく。そんなユーザーの群れ自体がブランドを育てる循環が生まれることになったのです。

Rivendellとの対比

  • Rivendell:孤高の銀色、美学を極める少数派。
  • Surly:群れの黒、実用と遊び心を広める多数派。

どちらも「アンレーサー」という同じ思想を共有しつつ、表現方法はまるで正反対でした。

どちらも基本はニッチ、それでも、この二つの極があったからこそ、アメリカの自転車文化はその豊かに揺さぶられ、次のステージへと向かっていったのだと個人的に考えています。

海を越えて届く思想

やがてその声は海を越え、日本にも正しく届きました。
彼らの思いが作った思想、その仲間たちのムーブメントに深く共鳴し、独自の解釈で「Just Ride」を翻訳しようとしたブランドが生まれた瞬間が確かにありました。

それが SimWorks(シムワークス) です。

ここからが本番、という予感がしますよね、続きは次回の「球体のつくり方」で。

それでは皆さんごきげんよう、また来週お会いしましょう。

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田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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