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「週刊 球体のつくり方」Vol.28

アンレーサーの灯 : 四章

SimWorks ― 日本から生まれた思想の継承と再解釈

SimWorks はご存じの通り、わたしたちが名古屋で仲間たちと立ち上げたブランドです。出発点は華やかな新技術やレースの世界ではなく、もっと素朴で、でも確かな「道具」としての部品に向き合うことでした。始まりはとてもシンプル、「自分たちが本当に使いたい部品がないなら、自分たちで作ろう」。この精神は、ブリヂストンUSAやリーベンデール、そしてサーリーと同じように、時代の“主流”に対する小さな抵抗から始まったのでした。

当時の市場は、いまともほとんど変わらず、ロードバイクは軽量化競争を、MTBは最新技術競争を繰り広げていました。けれど、わたしたちが本当に欲しかったのは、日々の暮らしに溶け込み、何十年も使い続けられる「道具としての自転車」だったのでした。

「道具」は何を運ぶのか

わたしたちはときどき、道具に救われます。
寒い朝に手袋が、雨上がりにフェンダーが、声もなく働くとき、そこに勝敗はなく、暮らしが少しだけ軽くなります。SimWorksが大切にしてきたのは、その一歩目の軽さなのだと思います。

SimWorksの指針は一言でいえばバランスだと思っています。
軽さと丈夫さ、速さと快適さ、新しさと直しやすさ、個性と普遍、どれか一方に寄り切らず、走り続けるための均衡を探すことだと思っています。

けれど「バランス」は設計図からだけは生まれません。
SimWorksはブランドである前に媒介者です。つくり手・売り手・使い手のあいだを結び、温度感が残る会話を製品に落としこむ。だから仕事の中心には、いつもコミュニケーションを必要とします。

そして名古屋のCirclesとはその母船です。

店頭で交わされる小さな実感が、開発のメモになり、テストの宿題になる。そこから伸びたCWDという流通は、商品だけでなく判断基準と物語を運ぶための回路として丁寧に働いています。そして思想が体験に触れた瞬間、血が通うのだとも思っています。

継承と編み直し

若くまだまだ甘かった頃、わたしは「グラント・ピーターセンを超えたい」と思ったこともありました。
しかし経験を得た今は、越える必要はないと考えています。大切なのは、彼が守り続けた思想を、自分が生きる時代土地に合わせて編み直すことなのだと悟ったからです。

日本企業ブリヂストンの挑戦、Rivendellの「道具としての美学」、Surlyの「実用性と遊び心」。

それぞれの理想を受け継ぎ、日本の風土と職人技を織り交ぜながら新しい物語を紡ぎ直す、それがSimWorksの現在の使命です。

SimWorksは、単なる自転車パーツブランドではありません。
それは「乗り続ける思想」を過去から現在、そして未来へとつなぎ、物語として手渡すための仕組みであり、文化を循環させる装置だと、わたしはそう考えています。

思想は時に海も越えていきます。
日本の職人仕事をアメリカへ、アメリカのクラフトを日本へ、単なる輸出入ではなく、道具を介した翻訳として、ものは静かに見えても、実はよく喋るのです。わたしたちはその通訳でありたいとも願っています。

現在、自転車はとても高価で、情報は素晴らしく速く、消費の周期は限りなく短い。

だからこそ、直せること/使い続けられること/手の温度が残っていることが、暮らしの安心に効果があるのだと信じています。これは懐古ではなく、持続可能性の実装なのだと思います。バズワードやすぐに消えていくショートビデオではなく、使いやすく整理されえた工具箱のような“実装”なのだとも思います。

わたしたちはメーカーであり、小売であり、流通でもある。けれども本質は文化の回路。Circlesで拾った微細な実感を製品や文章に変え、世界へ送り、戻ってきた反応でまた調整する。往復運動のなかで、道具は成熟していきます。

そして、本質的に語りたいのは“完成”ではありません。
わたしたちが見ているのは、未完の暮らしです。雨の日にフェンダーを拭く所作、出発前に空気を足すリズム、旅の途中でボルトを一本締め直す安堵。道具はあなたの手に渡ってから、ようやく意味を持ち始めるのだからなのです。

最後に、ひとつの問いを。
新しい自転車や部品を探すとき、スペックの前にこう自問してみてはいかがでしょうか。「これは自分の毎日に、どんな軽さを足してくれるだろうか?」

その問いに限りなく誠実であるために、SimWorksは今日もつなぎ手であり続ける努力を惜しみません。バランスを見極め、物語を運び、遊びを実装し、往復運動を続ける。わたしたちアンレーサーの走り方とは、そんな走り方、方法なのでしょう。

それではみなさんごきげんよう、また来週お会いしましょう。

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kyutai
田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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