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「週刊 球体のつくり方」 Vol.48

余裕を運ぶということ

昔、わたしたちの背中には、やたらと大きなメッセンジャーバッグが常にあったことをふと思い出しました。

自分の体には少し大きすぎるんじゃないか、というくらいのバッグです。
でも、あの大きさにはちゃんと意味がありました。

たくさん荷物が入る、というだけではありません。
突然目の前に現れたものを、「運べないから」という理由で諦めたくなかったんだと思います。

急な頼まれごと。
ふと見つけた面白いもの。
誰かの困りごと。
予定になかった荷物。
そういうものを「まあいいか」と引き受けられる余裕。
あのバッグは、その余裕を背負って走るための道具でした。

サイクリストにとっての自由って、ただ気ままに速く走ることだけじゃないと思っています。
何かが起きたときに、それを受け止められること。
少し重たくなっても、ちゃんと動けることも自由には必要だと。

そんな感覚は、今もあまり変わっていません。

その「運ぶ」という感覚は、時間と成熟にとともに、背中から自転車そのものへと移っていきました。

サークルズの各店舗、部署には、今もさまざまなカーゴバイクが駐輪しています。

OMNIUM, MONOPOLE, Hunter や Dobbat’s。

古いものは15年ほど前に、これからの街にはこういう自転車が必ず必要になるはずだと思ってオーダーしたものです。

今見ると、塗装は剥げているし、傷も多い、色を塗り直したものもあります。

毎日の荷物の移動。
スタッフの買い出し。
店と倉庫のあいだの細かな往復。
時には、ちょっとしたトラブルの対応。

特別なものを運んできたわけではないのに、気がつけば、店の歴史そのものを運んできたような自転車です。

そして「運ぶこと」は、ずっと自転車の課題であり、サークルズの仕事の中心にあったのかなと思います。

同じ「運ぶ」でも、ツーリングバイクにはまた別の時間があります。

カーゴバイクが街の中での暮らしを引き受ける道具だとすれば、
ツーリングバイクは、暮らし自体を少し遠くまで連れていく道具です。

距離を運ぶ。
時間を運ぶ。
その日必要なものだけではなく、数日先の自分を運ぶ。

ただ、今回はそこまで話を広げすぎない方がいいと思います。
ので、話の軸は、あくまで街の中で「運ぶ」ということにしましょう。

ここ数年、ヨーロッパの都市ではカーゴバイクが一気に増えました。

それは、単なる自転車文化の盛り上がりではないと考えています。
街の中でモノを運ぶ仕組みが、かなり切実に考え直されてきた結果なのだと思っています。

まずはECが増えました。
そして配送が細かくなり。
車も同様に増える。
でも、最後の数キロは、誰かが実際に運ばなければいけない。

そこで、カーゴバイクが現実的な選択肢になってきたのだと思います。

ヨーロッパでは、都市物流における「ラストワンマイル」の重要性が政策課題として扱われています。EUも、都市計画の中で効率的なファースト/ラストマイル物流を考える必要があると定義をしています。

ロンドンではAmazonを含む配送事業者がカーゴバイクを導入し、DHL、UPS、FedExなども都市部配送の選択肢として使用が開始されています。背景には、配送車による渋滞、駐車、排出ガスの問題と山積されているからです。

つまり、カーゴバイクは「環境に良さそうだから」「ユニークだから」だけで広がっているわけではないのです。

街の中においては、車より確実に速い場面がある。
停めやすい。
小回りがきく。
排気を出さない。
そして、街の流れをあまり止めない。

そして実際に使用を開始してみたら、かなり合理的だった。
たぶん、そういうことがきっかけなのだろうと推測します。

一方で、日本はどうでしょうか。

まだ、カーゴバイクを都市の物流や暮らしの道具として考えるところまでは浸透してきてはいない気がします。

でも、街を見ていると、必要となる兆しは多々あります。

ECの軽バン。
宅急便のトラック。
コンビニや飲食店への納品車。
短い時間だけ停めているはずの車たちですが、細い道や店舗前でその流れをやはり止めてしまっています。

もちろん、それが悪と言いたいつもりではありません。
むしろ、それがないと今の暮らしは回らないとまで思っています。

でも、その「少しだけ停める」が街中で積み重なっていくと、
やはりどこかで無理が生じてくるのでしょう。

国土交通省のリポートによると、EC拡大による宅配便の増加と再配達が、CO2排出やドライバー不足を深刻化させる社会問題だとしています。

そして物流の「2024年問題」への対応として、自動物流道路のようなとんでもなく大きな構想(なかなかの夢物語)まで出ていますが、いずれにせよ最後の最後、家や店までどう運ぶかというとても現実的な問題は残ります。

そこに、カーゴバイクの出番があるのかもしれません。
ただし、これも簡単な話ではありません。

日本には、自転車がどこを走るのかという問題があります。
車道なのか、歩道なのか。
ルールとしては「車道が原則、歩道は例外」とされています。
国土交通省と警察庁も、歩行者と分離された自転車通行空間の整備を進めています。

でも、実際にはルールだけできれいに収まりません。
車道は怖い。
歩道は狭い。
路肩には車が停まっている。
そこへ、少し大きなカーゴバイクが入っていく。

これは本気で、これからちゃんと考えなければいけない話です。
カーゴバイクが便利かどうか、という以前に、街がそれを受け入れられる形になっているのか。

そこを抜きにして、「これからはカーゴバイクです」と言っても、少し軽い気がしてしまう自分もいます。

それでもわたしは、カーゴバイクにはとてつもなく大きな可能性があると信じています。

なぜなら、それは単に荷物を運ぶためだけの効率的な手段ではないからです。
それは、「運べない」という理由で無意識に諦めていた選択肢を、自分の手に取り戻すための道具なのだと思うのです。

日本の狭い道や未整備のルールといった「不自由な現実」は確かにあります。
でも、その不自由さの中で車に頼り切ることなく、自分の足でできることを増やしていく。
例えば、スーパーで偶然見つけた素敵な花。
あるいは、急に必要になった店の備品。
「今日は自転車だから無理だな」と見逃していた小さな喜びや責任を、そのままの熱量で実行できること。

「積める」という物理的な余裕は、そのまま人の心理を能動的に変えてくれるのだと思います。
重さを引き受けることは、不自由になることではないのです。
むしろ、自分の身体でコントロールできる世界を、自分の意志で広げていくということにもつながります。

それは、かつてのわたしたちが巨大なメッセンジャーバッグを背負っていた時の感覚と、驚くほどよく似ています。
バッグのサイズで諦めなかったこと。
運べるかどうかはシステムやルールではなく、自分自身の「余裕」で決定する。

そんな誇り高い感覚が、今の時代にはカーゴバイクという形になって現れているのかなというのも決して大げさではないと思います。

サークルズは、創業からずっとこの「運ぶこと」に向き合ってきました。
若かりし日に背中で運んでいた時代があり、
ツーリングバイクで遠くの時間を運んでいた時期もあり、
そして今、カーゴバイクで日々の暮らしの余裕を運び続けている時間があります。

形は変わっても、根っこにあるものは変わりません。
誰かに任せるのではなく、自分の足で、自分の力で、責任を持って運ぶこと。
その面白さを伝え続けていきたいのです。

いま、あなたの自転車は何を運んでいますか。
それは荷物かもしれないし、
仕事かもしれないし、
あるいは子供との大切な時間かもしれません。
少し重いな、と思うものでも、運び方や道具を変えれば、案外いけることが多いのです。

わたしたちは、その「いける」という感覚を誰よりも知っていると思っています。
あなたのその「重み」を運ぶ方法を、一緒に考えてみるのも楽しいかもしれません。

それではみなさんごきげんよう、また来週お会いしましょう。

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kyutai
田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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