Words & Photos By Masanori Nishikawa

おっかなびっくり、ドキドキ、ソワソワしながらも、旅で出会う現地の方々のあたたかさから笑顔が生まれ、その土地やひとを信じて旅を続けられるようになってきた僕の自転車旅。
しかし旅をはじめて数ヶ月後、僕はあることがきっかけで、前に進むことができなくなったのです。
今回はそんな自転車旅が、僕自身の人生の転機となったときのことをご紹介しようと思います。

旅慣れてきた頃に
中国のあとラオスに入国し、そこからタイ、カンボジアと旅を続けてきた僕。
いつの間にか、新しい国を訪れることにも、ソワソワしなくなっていました。
新しい国に入国したら、英語を話せるひとを見つけて、挨拶の言葉や、ありがとうの伝えかたを教わって、そして銀行で日本円かドルを現地通貨に両替してもらえたら、あとはもう大丈夫。
そんなふうに、いつの間にか、僕は旅慣れてきていたようです。


街に滞在するというご褒美
いつもテント泊の僕には、街に滞在するのはご褒美のようなもの。
宿の値段を聞いて、部屋を見せてもらって。
自転車を部屋にいれてOKかどうかを確認できたら、決定。
久しぶりのシャワーを浴びながら汚れた服をサッと洗って、部屋に物干しロープを干して着替えたら街歩き。
当時はスマホもなかったので、はじめての街でも自分で宿に戻れるよう、景色を記憶に刻みながらどんどん歩いていました。



点ではなく、線で旅をする
外国人が多い観光地なら、旅人と知り合えば、これから行く先のことを教わったり、お互いの旅のことを話しました。
いまみたいにスマホもないので、気が合う仲間と出会えたなら朝方まで語り合うことも。
自転車旅よりもっと軽やかな彼らは、たいてい僕よりたくさんの土地を旅してきていてうらやましいところもありました。
自転車は歩みが遅く、あっちこっちに行きたいところ全部に立ち寄っていたらなかなか前に進めません。
けれどもその代わりに、彼らが点と点をバスや列車で軽やかに移動するところを、ひとつの線としてなぞっていける。
そしてその途中にこそ、観光という顔ではないその土地本来の暮らしが見えたり、現地の方々との出会いが生まれている。
どこかに描かれている「旅とはこういうもの」という紹介ではなく、自分が旅を通して体験し、見ているものにこそ、大切な何かがあるように思います。

僕が選んだもの
僕は旅の手段として「自転車」を選びました。
そして「ひとり」を選びました。
高校生のときに、マウンテンバイクで颯爽と走るおじさんをみて、一目惚れし、お小遣いでマウンテンバイクを買ったこと。
世界一周を自転車でしている人に出会ったときに「毎日さ、生きてるー!って実感できるんだよね」という言葉に心揺さぶれれたこと。
それ以外の理由はとくにありませんでした。
ただ、その自分が突き動かされた何かに向かっていきたい。
それが人生にとっての何かになる、この経験を通してそのあとこんな人生を歩む、そんなことは何にも描いていませんでした。


自分の旅のスタイルを見つける
けれどこうして、僕は、何も分からないまま自転車で世界に飛び出し、何者でもない僕のことをあたたかく受け入れてくださるその土地のひとと出会い、何度となく訪れる大変さと真正面から向き合いながら、ときには同じ旅の空のもとに出会った仲間たちと会話を交わし、僕は自分の旅のスタイルや、自分自身を見つけていったように思います。
いままでモヤモヤしていた自分というもののなかに、確かな線が浮かびあがってくる。
言葉にすればとても格好のよいもののように思います。
けれどそこに浮かびあがってきたのは決して、そのときの自分にとって「いいもの」とは言えないものでした。

何者かになりたかった
僕はずっと何者かになりたかった。
同級生はみんな親戚のような付き合いの小さな田舎で生まれ育って、中学校からはたくさんのクラスのなかで、なんとかやっていくしかないと自分に言い聞かせていました。
これといった夢もない。
部活は野球をずっとやっていたけれど、ずっと補欠。
なんとなく大学に進んでひとり暮らしをはじめ。
19歳で親友を事故で失って。
人生このままではいけない。
あいつが生きたかったこの世界で、後悔するような 生き方をしたくない。
そうして僕は旅をはじめました。
きっと「あいつはこうだよな」と言ってもらえるような何かに出会いたかったのだと思います。
社会の評価というか、物差しというか、そういうものから離れたところで、けれど自分が自分として認めてもらえるようなもの。
それが僕にとっての旅だったのかもしれません。


走りながら浮かびあがってきたもの
そうして自転車で日本を飛び出してきて、こうして日々あたらしい世界や、ひとと出会っているのだけれど、自分の心の焦点というか、ただただ無心で走っているときに、自分の内側から浮かびあがってくるのは過去の自分の姿なのです。
なんだかお坊さんのようなことを言っていますが、実際お坊さんとお話させてもらうと、気が合うことがたくさんあります。
そう。
過去の自分が浮かんでくるのです。
しかも、いい思い出というよりも、自分がいつの間にかフタをしていたような過去の苦い思い出が。
誰かを傷つけたこと。
やらなかった後悔。
想いを伝えれなかったこと。
何者かになりたい一心で、旅をするようになってから、いつも自分を大きく見せようとしてきた自分の言動。
そうしたものが、ほんとは心のなかにいつもあって、そしてそれは消えることはなくずっとそこに在る。
そのことが分かったのです。

旅を中断して、言葉を書き綴る
いったい自分はなにをやっているんだろう。
それを受け止めきれず、けれども今なんとかしないと、そんな思いで僕は旅を中断し、自分の心にあふれてくる思いを言葉として書き綴ることにしました。
10日くらいかけて。
たったひとりで飛び出した世界で、世界のまんなかであるほんとうの自分を見つけて愕然とする。
「何者かになりたい自分」は、必死に自分のことを認めてもらおうと、もがき、自分を大きく見せてきた。
けれども、ほんとうの意味で自分がおおきくなるためには。
その心が自由であってこそ。
だからこそ、その心にある今回自分が見た人生の思い残しや後悔を、ひとつひとつ自分で受け止めて、それぞれに区切りをつけて清算し、なるべくそれをまた積み重ねないようにそのままの自分で歩んでいく。
そのままの自分で在ることの難しさと怖さ。
当時23歳の僕には、自分が自分で無くなってしまうんじゃないかという怖さと向き合いながら、それからまた旅を続けていくことになります。
Vol.4へ続く。