社会は誰を見ているか

2024年のアメリカ大統領選で再選されたドナルド・トランプ大統領は、2025年4月3日、新たな関税政策を正式に発表しました。輸入品に対して一律10%の関税を課すというこの政策は、アメリカの経済構造や国際関係に大きな影響を与える可能性を持っています。選挙戦で掲げていた「アメリカ第一」のスローガンが、いよいよ実際の政策として動き出したことになります。
この政策の背景には、単に貿易の不均衡を是正するというだけでなく、アメリカ社会が抱えてきたより深刻な構造的問題への危機感があります。かつてトランプ政権で政策ブレーンを務め、現在は保守系シンクタンク「American Compass」の創設者兼チーフエコノミストであるオレン・キャス氏は、自由市場に依存しすぎたこれまでの政策を見直し、人間らしい暮らしの基盤――家族や地域、そして職業――を取り戻す必要があると語っています。
彼の考えをベースにすると、「なぜ関税を強化しようとしているのか?」という問いに対して、表面的な経済政策だけでなく、アメリカ社会の深層にある危機感が見えてきます。
グローバリズムがもたらした「空洞化」
1990年代以降、アメリカは自由貿易を推進する立場で、グローバル経済の中核を担ってきました。企業はコスト削減と利益の最大化を求めて生産拠点を海外に移し、消費者は安価で質の高い製品を手に入れることができるようになりました。一見すると、それは理想的な市場経済の姿に見えたかもしれません。
しかしその裏側では、国内の製造業が次第に衰退し、とりわけアメリカ中西部や南部を中心とする地域社会では、工場の閉鎖や雇用の喪失が相次ぎました。かつて町の中心であった工場がなくなり、経済的基盤だけでなく、地域の誇りやつながりまでもが失われていったのです。グローバリズムは国全体の効率性を高めた一方で、地域社会や個々の暮らしを支えていた土台を徐々に蝕んでいきました。

絶望死という社会の警告
こうした社会の変化は、やがて“死”というかたちで表面化するようになります。2010年代以降、アメリカでは「絶望死(deaths of despair)」と呼ばれる現象が注目を集めるようになりました。自殺、薬物の過剰摂取、アルコール依存による死亡が増え、その多くが教育水準の高くない中年の白人男性に集中しています。
職業を失い、地域とのつながりを失い、社会の中で自分の役割を見出せなくなった人々が、静かに命を手放していく――それは、個人の選択というよりも、社会の構造によって追い詰められた末の結果と考える人たちが増えてきました。また注目すべきなのは、この現象がアメリカ経済の成長と同時進行しているという事実です。株価は上がり、GDPは拡大しているにもかかわらず、その果実が国民全体には届いていない。このギャップこそが、絶望死という形で社会に現れ始めたのです。
なぜ今、関税なのか?
今回の関税強化は、そうした社会の綻びに対する一つの応答です。表面的には中国との競争、貿易赤字の是正といった目的が語られやすいですが、その根底には「人の暮らしを立て直す」という再建の意志、そして新たに始める時として鐘の音なのかもしれません。国内での製造業を再び活性化させ、地域に雇用を取り戻し、労働を通じて人間の尊厳を再構築する――関税はそのための手段として意図的に象徴づけようとしてるように思えるのは私だけでしょうか。

もちろん、関税には大きな副作用もあることはわかっており、輸入品の価格が上がれば生活コストに影響が出ますし、貿易相手国からの報復関税も懸念されます。それでも、アメリカ社会の基盤が崩れかけている今、「効率」よりも「再建」を選ぶという発想には、それなりの必然性があります。自由市場がすべてを解決してくれる時代は終わり、国家として何を守り、何を育てるのかが改めて問われている気がしてなりません。
日本もまた、同じ問いの前に立っている
このようなアメリカの状況は、私たち日本にとっても決して他人事ではありません。少子高齢化、地方の過疎化、若年層の不安定な雇用など、日本社会にも「報われにくさ」が広がっています。かつて地域に根ざしていた仕事や人間関係が崩れ、個人が社会から孤立していく傾向は、むしろ日本のほうが静かに、深く進行しているとも言えるでしょう。
今のところ、日本ではアメリカのように絶望死という言葉が政策議論の中心に据えられることは少ないかもしれません。しかし、孤独死、自殺、過労死といった現象は日常的に起きており、それが「社会の構造的な問題」として語られる機会は少ないままです。関税政策の是非はともかくとして、アメリカでの議論は、私たちにとっても大きな示唆を与えているのは確かなことではないかと私は考えています。

終わりに:経済から社会へ
2025年春、アメリカは新たな方向へと舵を切りました。それは単なる貿易政策ではなく、「暮らしを守るための経済」を再構築しようとする試みだと考えてみたらどうしょう。関税はその象徴的な手段にすぎませんが、「誰のために経済があるのか?」という本質的な問いを社会に投げかけるものでもあります。
この動きが成功するかどうかはまだわかりません。しかし、いま私たちが直面しているのは、効率や競争だけでは語れない「社会のかたち」の再設計なのだと思います。アメリカの関税強化をめぐる議論は、未来に向けて私たち自身の社会を見つめ直すための重要なきっかけになるかもしれません。
関税強化を支持するかどうかは別として、彼のような思考が今アメリカで生まれていること自体が、「新しい時代」と「新しい社会設計」の必要性を社会に強く問いかけているのではないでしょうか。
それでは皆さんご機嫌よう、また来週お目にかかりましょう。