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【BIKE FRIDAY】自転車のスピードで味わう自由:小さな車輪の上から世界を見る

2024年にBIKE FRIDAY / バイクフライデーに乗って韓国→日本→ベトナムと旅をしている最中に立ち寄ってくれたドイツのMaxさん。

そのときは旅の話を聞かせてもらっただけでなく、バイクチェックをさせてもらったり、彼自身もテストに携わったという、バイクパッキング用アプリ Rolling Around について教えてもらったりしました。それ以来、時折連絡をくれる関係が続いています。

そんな彼が先日、BIKE FRIDAYのコミュニティーブログ に寄稿した記事がとても素晴らしいものでした。

ぜひ皆さんにも読んでいただきたいと思い、ここに日本語訳をご紹介します。


Words & Photos by Max Rehbein / @bikefridaydiaries

ゆっくりと旅をして、初めて気づく自由があります。

今夜どこで眠るのかも正確には決めないまま、朝を迎えること。
ただ面白そうだという理由で、小さな道へと曲がってみること。
誰かに「お茶でもどう?」と誘われ、予定よりも長くその場所に滞在すること。

私は2012年以来、自転車で世界各地を9万キロ以上旅してきました。

最初の旅では、伝統的なツーリングバイクに乗り、大陸や山脈、海岸線、巨大な都市を駆け抜けました。しかし2020年、南米最南端の町ウシュアイアで、パンデミックによってその旅は突然終わりを迎えます。

私は自転車を現地に置いたまま、アルゼンチンを出る最後の便のひとつに乗らざるを得ませんでした。自転車から離れることは、まるで旅の仲間と別れるような気持ちでした。

ウシュアイアを離れる少し前、私は鮮やかなオレンジ色のBIKE FRIDAYに乗った、少し風変わりで、とても魅力的な男性に出会いました。

彼は、その自転車でアラスカからウシュアイアまで走ってきたのだといいます。

周囲に並ぶ伝統的なツーリングバイクと比べると、その自転車は拍子抜けするほど小さく見えました。私は当時の彼を、今、人々が私を見るのと同じような懐疑的な目で見ていたのだと思います。

背の高い男が、小さな車輪の自転車で旅をしているのですから。

折りたたみ自転車が、山や砂利道、雨、暑さ、そして数千キロに及ぶ道のりを本当に走り切れるのだろうか。

けれど、どうやらそれは可能だったようです。あのオレンジ色の自転車は、すでに南北アメリカ大陸を縦断していたのです。

その出会いは、私の心に深く刻まれました。

好奇心はやがて可能性へと変わり、その可能性は、私の新しい旅のスタイルになりました。

あれから6年が経った今、私はさまざまなBIKE FRIDAYに乗り、4万キロ以上を走ってきました。

この小さな車輪は、人里離れた山々や熱帯の暑さ、混雑した都市、島々、そして長く人影のない道へと、私を運んでくれました。

小さな車輪が、冒険を小さくしたわけではありません。

むしろ、これまで以上に多くの世界を、私の手の届くところまで運んできてくれたのです。

自転車のスピードで巡る世界

現代の旅行は、場所と場所の間にある距離を、できるだけ感じさせないように設計されています。

私たちは風景の上を飛び越え、有名な観光地から次の観光地へと素早く移動します。しかし、自転車に乗れば、その間に広がる風景を飛ばすことはできません。

山を登り始める前から、涼しい空気を感じます。海が見えてくるずっと前から、その香りに気づきます。

建築や食べ物、言葉、植物は、少しずつ姿を変えていきます。国境は、ただ越えるだけの線ではなく、実際に体験するものへと変わります。

その国もまた、観光名所を並べただけのリストではなくなります。

道端で食べた食事。
共通の言葉を持たない人との会話。
隣を自転車で走る子ども。
地図が役に立たなくなったとき、正しい道を指し示してくれた人。

旅先の国は、そうした小さな瞬間の積み重ねとして、記憶に残っていきます。

最も心に残る出会いのいくつかは、多くの旅行者にとって、わざわざ立ち寄る理由のない小さな村で生まれます。

人々は、積み重なった荷物や、ほこり、疲れた顔、そして見慣れない自転車に気づきます。

「どこから来たの?」
「どこへ行くの?」
「どうして、その自転車はそんなに小さいの?」

そう、背の高い男が小さな自転車に乗っていると、周囲の人たちは笑いをこらえきれません。

けれど、それは世界中どこへ行っても、最高の会話のきっかけになります。

共通の言葉がなくても、コミュニケーションは自然に始まります。砂ぼこりの上にルートが描かれ、店主が椅子を持ってきてくれます。子どもたちは、自転車のヒンジを一つひとつ、興味深そうに観察します。

お茶だけのつもりが、いつの間にか昼食へと変わります。

ほんの短い立ち寄りのはずが、1時間前まで名前も知らなかった家族と、夕方まで一緒に過ごすことになるのです。

ラダック―快適さと引き換えに得た自由

私自身を最も大きく形づくった旅のひとつが、インド北部のラダックとザンスカールを自転車で巡った旅でした。

6週間をかけて約1,300キロを走り、累積標高差は2万1,000メートルを超えました。

人里離れた渓谷を抜け、標高5,000メートルを超える峠を越えます。荒涼とした山々、深い峡谷、そして果てしなく広がる空の中を走り続けました。

あれほどの標高では、緩やかな上り坂でさえ、ペダルを漕ぎ、息を整え、立ち止まるという、ゆっくりとした繰り返しになります。

山に逆らっても意味はありません。こちらが山のペースを受け入れなければならないのです。

仏教文化は、その風景の中に深く織り込まれていました。

道沿いや峠では祈りの旗がはためき、村の端には白いストゥーパが立っています。僧院は、まるで断崖から直接生えてきたかのように見えました。

何時間も風雨にさらされながら走ったあとでは、小さな村でさえ、ひとつの世界のように感じられます。

小さな店や水を補給できる場所、質素な食事を取れる場所は、この特別な風景の中で暮らす人々と出会うための、大切な場所でもありました。

ラダックは、自由と快適さは別のものなのだと教えてくれました。

自由とは、薄い空気であり、寒い朝であり、疲労であり、不確実さでもあります。

同時に、広大なヒマラヤの谷間で、荷物を満載した折りたたみ自転車の隣に立ち、まだ見たことのない場所へと続く道を眺めることでもあるのです。

なぜ、BIKE FRIDAYなのか?

世界を旅するための自転車と聞けば、多くの人はフルサイズのホイールや頑丈なラック、大きなパニアバッグを思い浮かべるでしょう。

折りたたみ自転車を想像する人は、ほとんどいません。

だからこそ、これまで多くの国を旅する中で、私は何度も同じ質問を投げかけられてきました。

「それに乗って旅をしているの?」

私のBIKE FRIDAYは、韓国、日本、ベトナム、フィリピン、メキシコ、台湾、中国、スリランカ、タイ、マレーシア、インドネシア、ヨルダン、インド、そしてヨーロッパの多くの国々を走ってきました。

ヒマラヤの峠を登り、熱帯の海岸線をたどり、混沌とした都市を抜け、数か月分の生活に必要な荷物をすべて積んで走りました。

小さなホイールが旅の足かせになったことは、一度もありません。

むしろ多くの場面で、旅の可能性を広げてくれました。

この自転車は扱いやすい大きさのケースに収まるため、空港での移動が楽になります。電車やタクシー、フェリーでの移動も、ホテルの部屋へ持ち込むことも、それほど大きな負担にはなりません。

病気や悪天候、時間の制約、あるいは機械的なトラブルによって先へ進めなくなったときも、自転車を折りたためば選択肢が広がります。

その柔軟性は、旅の進み方そのものを変えてくれます。

予定していなかったフェリーに乗ることもできます。バスを使い、危険な道路を避けることもできます。体が休息を必要としているときは、電車でその地域を越えることもできます。

一般的なツーリングバイクでは入り込むことが難しい小さなゲストハウスや混雑した駅、狭い乗り物の中にも、BIKE FRIDAYなら持ち込むことができます。

旅のすべてを自転車に合わせて計画するのではなく、自転車のほうが旅に順応してくれる。

私にとって、それこそがBIKE FRIDAYの本当の強みです。

移動を楽にするほどコンパクトでありながら、私をほとんどどこへでも連れていってくれる能力を備えているのです。

必要とするものが少ないという贅沢

長距離の自転車旅は、生活をあっという間にシンプルにしてくれます。

すべての荷物は、自転車に積める量でなければなりません。そして不要なものまで持っていけば、その重さをすべて上り坂で運ぶことになります。

持ち物は、もはや抽象的な存在ではありません。

一つひとつに、はっきりとした重さがあります。

旅を続けるうちに、本当に必要なものは、ごくわずかだと気づきます。

数着の服。
テント。
工具。
食料と水。
そして、夜を過ごすための防寒着。

もちろん、暮らしがシンプルだからといって、毎日が楽になるわけではありません。

自転車での旅は、不快で、孤独で、疲れ果てることもあります。

向かい風に苦しむ日もあれば、機械的なトラブルに見舞われることもあります。想像以上に交通量の多い道路を走らなければならないこともあります。

「なぜ、自分はこんなことをしているのだろう」と、自問する日もあります。

そんなとき、誰かが水を差し出してくれます。道端で子どもが手を振ってくれます。家族が、座って休んでいくよう誘ってくれます。

雲の向こうから山が姿を現すこともあります。日が沈む直前に、眠るのにちょうどよい場所が見つかることもあります。

そして、答えが戻ってくるのです。

人はしばしば、自由を「より多くのものを持つこと」と結びつけます。

けれど自転車で旅をすることは、自由は「少ないもので満たされること」からも生まれるのだと教えてくれました。

最大の贅沢は、自分で決められることです。

朝、目を覚まし、その一日が自分のものであると感じること。

30キロ走ってもいいし、150キロ走ってもいい。予定していたルートを進んでもいいし、途中で外れても構いません。

海辺にとどまってもいい。山へ向かってもいい。

もちろん、すべてを自分でコントロールできるわけではありません。

それでも、その不確実さの中には、自分の時間を自分自身で生きているという、特別な感覚があります。

小さな車輪の上の世界

荷物を満載したツーリング仕様のBIKE FRIDAYは、ひと目見ただけでは、少し風変わりな自転車に映るかもしれません。

その車輪は、ヒマラヤの峠や遠く離れた海岸線、ましてや大陸を横断する旅には、小さすぎるように見えます。

けれど、この小さな自転車は、雨や暑さ、高い山々、混雑した都市の中を、私を乗せて走り抜けてきました。

国境を越え、フェリーに乗り込み、タクシーの中にすっぽりと収まりました。そして、そうでなければ互いに言葉を交わすこともなかった人たちとの間に、いくつもの会話を生み出してくれました。

自転車での旅は、目的地へたどり着くことだけが目的ではありません。

大切なのは、目的地と目的地の間で出会う、あらゆるものです。

地図にはほとんど記されていない村。
思いがけず振る舞われた食事。
共通の言葉を持たない人との会話。
そして、少しずつ遠い存在ではなくなっていく異文化。

そのすべてが、自転車で旅をする醍醐味なのです。

自由とは、仏教の祈りの旗の下を、ヒマラヤの峠へ向かって登ることかもしれません。

翌日の予定さえ決めずに、海岸線をたどることかもしれません。

あるいは、何かを置き去りにせざるを得なくなったあとで、もう一度、前へ進む道を見つけることから始まるのかもしれません。

9万キロ以上を走った今、私にとっての自由は、とてもシンプルなものになりました。

必要なものだけを携えること。
次に進む道を、自分で選ぶこと。
そして、その道がどこへ続いているのかに気づけるだけの時間を持つこと。

BIKE FRIDAYは半分に折りたたむことができます。

けれど、その自転車が切り開いてくれる世界は、決して小さくありません。

自由とは、きっと、そうやって広がっていくものなのです。

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Ikeyama Toyoshige
池山 豊繁

Circles / SimWorks / CWD 学生の頃のメッセンジャー・サークルズでのアルバイトを経て、今に至る。 サークルズスタッフ最年少を公言していたが、今ではニュージェネレーションも加わり古参の存在。 でも身長は最小です(#163cmですがなにか)。 CXレース経験もありますが、今はのんびり瀬戸のグラベルを走ったりするのが専らで、過去の面影はどこへやら。自転車で釣り場にアプローチするBikeToFishingのスタイル研究にも余念がない。
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