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いつものおはなし。

いつもお客さんとお話をさせていただきます。
それが接客業の一番大切なことです。
お客さんが何を望んで、何をしたくて、どう自分を表現したくて、
どういったものを所有していて、何を信じていて、何を食べていて、
どんな人たちと交流して、そんなちょっとした情報から何を提供すべきなのか僕らなりの引き出しを開けて、お客さんの要望をより良い意味で裏切ることを最高の仕事だと信じて。
だからまずはお話が必要です。
あらゆる物事に共通すると思うのですが、他の人との接触によって、自分や物事の本質を知ることが最良でかつ手軽にまた最高の方法で、そして生きていく上での楽しみのひとつではないかと思ったりもします。 
だからこそ僕たちが道端に店を構えて存在できる唯一の理由だとも言えるかもしれません。
だからそれなりの経験をして、たとえば人一倍モノを壊してながら遊び、時には辛くしんどい思いをして遊び、町の表情を感じながら遊び、とにかく一生懸命に遊んだぶんそれを自分たちの表現方法に置き換えてみんなに伝える。 それはたぶん遊びの道具を提供するためにもっとも必要になってくることなのです。もちろん日常の道具としても使えますが、自転車は。
その行き着いたアイデアの1つが、もしかしてあなたにとって、
不要になった物事に息を吹き返させ、不要が必要に変わることを提案することだったりします。
そんな風に自転車と付き合ってきている人間達がこの間紹介したSurlyであったり、今回紹介するExtraCycleであったりするのではないでしょうか。





ExtraCycle
FreeRadicalKit with Cannondale F500
自転車の特にMTBなんかはとにかく日進月歩で技術が進み、あっという間に5年前の自転車なんか次点者になってしまうことは現在の当たり前の事実。(1番正当なMTBの利用方法は1~3年で乗り潰すことなんですが、、、つまりはフレームを逝かすということ。)
もちろん自称初心者と称する人たちの最初の足となり、自転車人としての成長を即してくれたりする側面もあるのですが、乗り続けると世の中にもっともっと良い物が存在することや自分の不勉強さに気づいたりもします。(だからってそれを買い替えの理由にして、何度も何度も安いもので済まそうとすることが、そもそもの異常的行動でもあると思うのですが。考え方は人それぞれなので、、、でも、そんな人ほど“ECO”って言ったりもする気がします。)
そして、その不要と感じたモノをオークションに出品する事だけが、ケツの拭き方ではないと思ってくれる人が増えてほしいと真剣に思うのです。 自分が自由選択の中から選んで、最終的にお金を払った責任がそこにあると自覚していただくこともを含めて。
FreeRadicalKit。 
最高の名前です。 最高の表現法。 最高の変化の方法。
(ジムニーをハイエースに変化させれますか?)
きっちり自身に落し前をつけて、前進させる圧倒的に決定的な方法だとも思います。


ExtraCycle
FreeRadicalKit with Our Old Kona Explosif
だから本来はそんなケツの拭き方をさせないように、念入りにお客さんと一緒に掘り下げることが大事なのですが、それは全ての自転車購入者と会話が出来たりすれば良いのでしょうが、まったく持ってそんな現実感ゼロ的な状況は想像に容易いので、このBlogを見ていてくれる読者さまたちのお近くに“あぁ、しまった”と、つぶやいている人がいるなぁなんて思いましたら、ぜひこんなケッタイナ商品もしくは、こんなお店があるぜってご紹介願えると、たぶん店(私どもや意味を理解しておるお店)や紹介したあなたも当事者もとてもとても幸せになるという図式が出来上がる気がします。 
それは、Surlyにも当てはまります。
Surlyで一番大事なことは“長く、楽しく”自転車に乗れる(使える)ってコトです。
乗ることによってしか導かれない論理が、Surlyのフレームにはきっちりあります。
重量や、素材や、マッハ的なスピードや、ファンシーなデザインや、ヨーロッパ的ブランディング、等等のそんな物事とは対極にあるであろう、圧倒的なまでに楽しく使用する、またその使用に極力耐えうるという事がSurlyの一番大事な意味であり事実。
だから、楽しくて真っ当な自転車友達を増やすときにはSurlyを僕達は使うのです。(もちろん当人も出来る限り“安くて良いもの”探しているに限りますが。)
絶対的に使いやすいものに圧倒的に壊れにくいパーツを出来るだけ安価に仕込んでやるのです。
(つまりは古いシマノやちょっと前のAlivioやAcelaで十分。
Wheelだって腐るほど持ってるでしょうから。)
で、楽しむわけです、使うわけです、壊してもらうわけです。
言い換えると“消費”といいます。
消費を楽しむということは、きっちり消費ができた人しか味わうことができません。朽ち果てさす前にきっちり消費ができてるか確認して、必要、不必要を見極めて、有効的に消費していくようにすることが実は多くの人々が唱える“ECO”なんじゃないでしょうか? 
新しいものを買う前に、やるべきことがあるということを提案することも大事ではないでしょうか?
(まぁこれは“高度資本主義”の大原則から、つまり無駄づかい万歳主義、から大いにかけ離れるということなのですが。)
でも、一般的常識から少しだけ逸脱した自転車にまたがって、世界の隅々を見に行こうと考えて、自分だけの力でそこにたどり着いて、そこで見る世界はきっと、自分しか見れない新しい世界がそこには広がっていて、本当に自由だなって感じてる自分がいて、好きなようにまたルートを自分で選んで、より多くのすばらしき人間たちに出会えるようになって、めぐりめぐって大きな大きな円が自分やその周りに出来上がると楽しいのではないでしょうか。
そんな時代はすぐそこに来ていませんか。
時代は乗るものではなくて、
みんなで創るモノだって気づきだしていませんか。
まずは自転車ぐらいRadicalになってみてもいかがでしょうか。

Kyutai

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kyutai
田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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