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Let’s talk seriously about why cyclists break traffic laws / from The Washington Post

ちょっとした筆の合間にTeam SKRKの多才性に目を細めながらも、僕には僕のやることがあるのだからって自らを口説き落としたわけではなかったのだ。 そう僕にはやるべきことがあっただけだったのだ。
 
 
そんな感じでこの物語は始まりはいたしませんが面白いアーティクルがワシントン・ポストのweb版に上がっていたので、本日はご紹介したいとセコセコと働いておりました。 とても長いので退屈かもしれませんが、ぜひ多くの人に読んでいただければ幸いと思います。

 



 
Let’s talk seriously about why cyclists break traffic laws
from The Washington Post by Emily Badger
 
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実を言えば、私は自転車に乗っている時、法律なんてどうでもいいと思っていました。 夜誰もいない近所で、ストップサインを無視して進んだり、交差点にて一旦停止はするものの、車が来ないことがわかれば赤信号を無視して右へ曲がったりしていました(アメリカでは自転車は赤信号で右折が禁止されている。車は赤信号で右折が可能。)。時と場合によってはこんな事をしていました。
 
ウェズリー・マーシャル氏は待っていたかの様に「僕もよくやるよ。」と口にしました。「たくさん車が赤信号で停まっている中、その横で待ちつつ横から車が来ない場合、赤信号を無視してそのまま進むようにしてるよ。なんでかっていうと、そのほうが安全な気がしてさ。」 私もマーシャル氏と同じ様な事を、同じ理由でしていたのです。 なぜなら信号が青になった時にバイクレーンが無い場所で、隣の車とのスペースの奪い合いをするより、先に行ってしまったほうが自分にとって安全だと思うからなのです。
 
コロラド大学デンバー校において、土木工学の助教授をしているマーシャル氏は、ほとんどの車を運転している人達はこのような考え方、自転車の法律違反行為は、時には自分を守る事である事を理解不能だと思っているに違いないと感じています。 
 
もしくは、私たちサイクリスト自身が自転車乗車時における『行動心理学』というものをちゃんと理解せず、話題にもしていないからかもしれません。 もしかしたら、車の運転手は、交通違反者たちをニューヨークのバイクメッセンジャーのように、法律をあざけ笑い、それを守る人達を馬鹿にし、危険が死ぬほど大好きな人達のような、まねごとをしているのではないかと頭の中で描いているに違いないのです。
 
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マーシャル氏はこう続けました。「誰もが危険を好む人間であるわけがない。 実際にあなただって違うとわかったし、僕だってもちろん違うよ。 法律を無視している時はそんな事を考えた事もない。 むしろその反対なんだよ。」
 
事実として、どうして自転車を乗る人達がそのような違反行動をとるかということに関しては、正確な統計もその行動学的見地からも全く分かっていないですし、けっして大都市では見ることができないのですが、道路インフラの整備されていないようなところでの、自転車に乗っている人達がどのような行動をするのかもまったく分かっていないのが現実なのです。 
 
たとえばポートランドにて、もしくはポートランド出身の誰かと一緒にワシントンD.C.にて自転車に乗るような事があるならば、街によって交通ルールにおける社会的規範が様々であるように思えるに違いないでしょう。 そしてマーシャル氏は、私がワシントンD.C.ではけっして見ることができないような、インフラ整備の存在するポートランドにてサイクリストを日々観察しています。
 
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ではなぜそのようなさまざまな違いができるのでしょうか? 街の中で自転車に乗る事が当たり前になってくると、法律を守らなければならないという仲間意識は生まれるのでしょうか? 自転車乗りのためのインフラ整備が街でされたら、赤信号を無視する自転車乗りは少なくなるのでしょうか?
 
私たちのうちの誰かが安全のために交通ルールを犯すのならば、私たちのために安全な場所を作ってくれるのであれば、みんなもっと交通ルールを守るのではないかと思われるのですがどうでしょうか?(これについてですが、森の中に全く別なバイクロードを作るという意味ではなく、自動車と自転車が同じ道をシェアしながら、自転車のための安全なバイクレーンや、それぞれの存在に見合った信号を作るという事になります。)
 
社会学やインフラについてのこのような問いかけは街の道路事情において、何が起こっているかをしっかりと描き出すことが可能になってくるでしょう。 そしてマーシャル氏は、アクティブ・コミュニティーズ・トランスポーテーション・リサーチグループの共同監督を務めるケビン・クリゼック氏と一緒に、この交通違反をする人達の行動、そしてなぜそういう人達は違反をするのか、そして違反をしない人はなぜしないのかを調査したいと考えています。
この調査の一部として、彼らと博士学生のアーロン・ジョンソン、サバンナ州立大学のダン・ピアトコウスキーらは、サイクリストの行動パターンの全てを集められるようにと現在調査を行なっています。
 
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事実として私たちのほとんどが法律違反をするのです。 5マイルほど速度制限を超えて車を運転しているかどうかや、横断歩道を使わず道を渡っているかどうかなどをマーシャル氏は指摘しながらもこう続けます。 私たちはそういったスピード狂のドライバーでさえも、ストップサインを無視するサイクリストのように否定をして同じ扱いをしようとはしていません。 例え前者が後者よりも公共的に圧倒的に危ないと分かっていてもです。 
そしてまたこのように別の質問となって生まれるのです。 サイクリストは自動車やバイクを運転する人よりも交通違反をするのでしょうか?(歩行者に関しても含めて考えるべきだと個人的には思います。)
 
私たちの社会の中における交通違反のデータがより多く集めれれば、もっと安全な道路システム作りに貢献できるでしょうし、それ以上にマーシャル氏はどのようにして自動車とサイクリストが共存し合えるかを話し合う事が可能になると考えているのです。 例えば、ちゃんとした行動心理に則ったサイクリストのためのバイクレーンが作られるのであれば、赤信号も待つようになったり、一方通行の道を逆走することはなくなるという証拠が少なからずあります。
 
「自転車乗りに対しても丁寧な対応をし、自転車がいるべき道を作り上げ、交通システムの中でサイクリストに対する尊厳を生み出す事。」とマーシャル氏は言います。
 
その見返りとして、サイクリストは法律を重んずる傾向になる可能性があるでしょう。 もしくはサイクリストに安全なスペースを提供することにより、危険な道を避けて一方通行を逆走する必要もなくなるでしょうし、交通が激しい場所を抜けきろうと赤信号を無視することもなくなるでしょう。
 
そしてインフラによって、公共の場における私たち自身の役目というものも浮き彫りになってきます。(「システムが私を見張っているのではなく、自分自身で自分を注意を促す必要があると思います。」)インフラは物理的に私たちの行動にすら影響を与えるからです。 たとえばワシントンポストオフィスの前にある安全なバイクレーンにおいて、赤信号を無視する事は不可能に近いです。 なぜなら自転車の交通渋滞が車と同様な形で交差点ですでに起こっているのですから。
 
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マーシャル氏はさらに言います。「現状は車のために作られた交通システムの中に自転車を無理矢理入れ込んでいるのです。 もしそれが交通違反を生み出している一つの原因ならば、より良い形で自転車乗りのためのインフラ整備をする必要があるのではないでしょうか? もし危険が大好きな人間が交通違反をするのであればそれはまた違った話しとなり、それが本当の理由ならば、違う解決策を生み出さなければならないでしょう。」
 
正直に言えば、私は自分の安全のためではなく、ただ単に交通ルールを無視する時があるのを認めます。 しかしその理由は交通ルールがサイクリストのために作られてはいないことを知っているからです。 この事実を車も所有しているサイクリストに言い聞かせています。 マーシャル氏の調査のほうが私が言うよりはっきりと示してくれるとは思いますが、車のために作られたルールの上で、サイクリストには同じルールが適応(フルレーンを使用する事など)されず、サイクリストがそれ(赤信号の場合は右折禁止)に従わなければならないのはあまりにも不公平すぎます。
 
もしドライブ時にラジオを聞いていない時、同伴する人がいない場合、そしてまたサイクリストは自転車で通勤をしている時、私たちが考えているような事を一度考えてみるのはどうでしょうか?
 
 


 
アーティクルに対して個人的に思うことは色々とありますが、そろそろ自称サイクリスト、一人一人が返事ではない言葉を話すべき、そして向き合うべきタイミングなのではないかと思います。
  
そして最終的にまた誰かに頼っても、同じことが繰り返されるってことがみんなもう分かっているでしょうから。
 

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田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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