サトちゃんが死んだ翌年、ぼくは日本に帰ってきた。
アメリカでフィッシュマンズを知り、
ロングシーズンをあきることなく何度となく聞き返して、
過去へ過去へとさかのぼり、
サトちゃんの若かりし純粋さに触れ、次第に変化していったであろうその思考を推測し、
世の無常とあきらめきれない人間への賛美に感化させられ、
あぁ日本人でよかったなぁってアメリカでほんとうに思った。
だから帰ってきたって大袈裟に言ってもいいかも。
でも彼は死んでいた。
サトちゃんのいないフィシュマンズなんて聞くもんかって意固地になっていた時もあった。
でもね僕は間違っていた。
いた。
現場にはサトちゃんいた。
伝えたい言葉や思いは、理解者の口から飛び出せばしっかりと機能する。
あらためて思った。
良くも悪くも僕もいいあきらめがついている方だと思うけど、
あらためて昨日のライブであきらめについて考えたし、その素晴らしさすらを感じた。
そして進化は大事だった。
もう超絶的に。
人間は洗練され、解釈は深まり、喜びに対する執着も増したんだろう。
最高だった。
比べる必要はないけどオザケンよりも感動した。
マジで。
今日の大阪も行きたいゼップ。 関西の人行っときなよ。
チケットあるらしいから。
*幸せ者
「この世の不幸は全ての不安
この世の不幸は感情操作とウソ笑いで
別に何でもいいのさ
みんなが夢中になって 暮らしていれば
みんなが夢中になって 暮らしていれば
別に何でもいいのさ
彼女のことだけを よく知っている
そして音楽が胸の中でいつでも鳴っている
彼女のことだけをよく知ってる
そしていつだって夢の中まで追いかけてくる
そんな感じでいい そんな感じでいい」