田中 慎也
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世間では10年で一世代なんて言うけども、時の速さは宇宙だけが決めるわけじゃないんだぜ。 – サークルズ年暦・発動篇 –

 
 
10年が一世代と一般的な社会では決めれられているし、その世代間における考え方や捉え方の違いは否が応にも感じる瞬間が自分にもあるので、僕らの過ごしてきた10年をとても大切にしておかねばと、今更ながら思ったわけです。
 
まずは今年の12月に私たちサークルズはおかげさまで10年目の誕生日を迎えることになりました。
これはひとえに日々サークルズを訪ねてくれ、そしてさまざまなお願いをしてくれたり、商品を買っていただいている、地域のみなさまのサポートによるものだと心より感謝しております。
そしてインターネットのおかげになりますが、10年以上前の世界では、なかなかリーチをしにくかった地域のみなさまにも、多くのサポートをしていただいていることも含めて、この場を借りてお礼を申し上げます。

本当にみなさま有難うございます。
 
ただ10年間においてその多くは楽しかったに違いないのですが、やはり思い出の全てが楽しいことという訳には行かず、さまざまな不勉強やそれによって引き起こされる問題などのほうが多く頭をよぎり、記憶とともにいつも反省をさせられます。
その時間は長かったと言えば長かったし、とにかく早かったと思えば早かったのですが、今回のタイトルにもあるように、その長くて早い時間をどう過ごしたかが、多くの価値を決めるのだと思っています。そしてこれからもできることなら、この世界で一番価値のある時間と呼ばれるものを、ますます有益に使いたいなと、すこしずつ老いていく自分を通して、強く感じるようにもなりました。
 
いずれにせよ今までを振り返ってみることは、有益なことだと思うところもあり、これからの数回をかけて自分が感じていた実際の気持ちを年暦と称し、文才がないなりに綴ってみたいと思います。

ぜひお暇な時にでも一読願えれば幸いでございます。
 
 

– サークルズ年暦・発動篇 –

 
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2002年夏, 長きに渡り深く愛してきた服飾業から足を洗った。 
 
アメリカで過ごした3年の日々は、さまざまな無意味なことと、意味のあることをぼくに教えてくれた。  
  
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イギリスのおとぎ話では常に愚かな種族として描かれる人間は、体験からのみ学ぶことができ、それを活かすことによってこそ、生かされるようになる。 
しかし今その一番大事な体験のほとんどが端折られ始めている状況を感じたわたしは、行動にとにかく執着することにきめた。
 
 
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お世話になった服屋を退職の後、行きつけの自転車屋に丁稚奉公を頼むが断られ、まぁいいかと毎日自転車に明け暮れ、暇ができればプールに行き、自分に出来る限りの家事をしていた。
 
一応スタッフ募集をしていた2,3の自転車屋をめぐりはするもののピンと来ない。 
まぁ飛び抜けていないものにはあまり興味がないたちなのだからしかたがない。ただ若干気になったことといえば、それらの店が結局のところ自転車が好きなのか、一体全体何を売っているのか分からずに、でも立派に商売をされているという感じ。 
 
そんな感じが街中に充満している。 
そしてそれを要約すれば、それがニホンということなのだろうか。
 
 
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しかしながら運命は急に展開する。 
たまたま行った老舗店に人員の空きが出たのだ。 とにかく日本一の安売り店として有名なその老舗に対し、わたしは好奇心と未来を見つけた気がした。若かりし頃の自分はパイオニアリングとクオリティーにしか興味がなかったのだが、すこしだけ経験を積んだことによって、それとは真逆の思想に触れ、体験してみることが未来への一番の近道ではないかと感じたのだった。 
そしてようやくこの業界に滑り込むことが出来、20代も足早に過ぎようとしていた。 
 
 
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自転車の売り方を知る由もなかった自分は、まずは認めてもらえるようにと、せっせとダサい日本製やイタリア製のジャージを売りまくった。 
個人的には腕を通すのも気がひけるものだけど、人は安値の謳い文句につられて買っていく。 
なんでかなぁと思いつつも、仕事は仕事、とにかくできることを粛々やればいい。
  
 
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でもそこで出会ったデービットはとてもクールだったことを思い出す。 
当時はアソスを卸していたのだけども、とにかくその売り方も、物はこうあるべきであるということを貫いていた。そしてやはりブランディングの意味もよく知っていた。それでもアソスを店頭に並べようとしない店があるなんて、ある意味信じられなかったけど、とにかくこのブランドを定価ながら徹底的に売ってみることにした。そして定価販売にも関わらず、とにかくそれはよく売れた。 
低価格を目的に来店されるお客でも、意外に値段以外にもいろいろと興味はあるってことと、これまでまったくもって人を馬鹿にしすぎていた自分が本当は一番馬鹿だったってことを認識できたいいタイミングでもあった。 
  
 
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時は同じくしてサンフランシスコのクールなサイクリストたちが、シーズンオフ時のファンライド用に組み上げた、フラットバー・シクロバイクを、スコットバレーの巨人が参考にし、それをクロスバイクと名付け、馬鹿売れし始めていた。その完成車を毎日大量に組み立て、精度の悪いロー・グレードのシマノやカンパを扱うことの楽しさと、そのモノ自体のあり方の多くを知ることにもなり、販売実績がある老舗だからこそ短期で多くを学ぶことが出来たと思う。
と同時にぼくの悪い癖も出始め、本当に知るべきことの追求にしか興味がなくなりはじめ、自転車という道具が持つ本質的な意味にしかいっさいの興味がわかなくなっていた。 

ニホンはあまりにも無知で、全くと言っていいほどのチャレンジ精神というものが不足しており、さらには競争が好きな業界にも関わらず、談合的な何かが生み出している競争の皆無などに対しての多少の嘆きはあったのだけども、自分には自分のやるべきことも、己の未来もあると信じて行動を起こすことに決めた。
 
 
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前職の服飾で学んだことはとても多く、そして大きかった。 
ただ単純にそちらもある種の生温るさとファッションの定義が年老いていく感じや、消費者が求めるのもが年々同じものになっていっていた。(ただ、今考えると、どちらの居場所にいたとしても一緒のことを思っていたのだろう。)
若者の特権である生意気さを振り回して、自分勝手ながらに客と向き合うことを、もっと意味あるものにしたかったのかもしれない。
 
店を始めると決めてからサンフランシスコオレゴンにはもう年明け早々に連絡をしはじめていた。 
まだ雇われの身であったのだけども、店が休みの日には、イオンの前やラシック、大須のアーケード前に3〜4時間張り付きながら人間観察兼リサーチし、そして自転車で街を徘徊しながらじっくりと店舗を見定め、最終的に氏神様に工事のお祓いしてもらったのが2006年10月。 
 
 
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しだいにフィリーやカナダ、日本国内のぼくが思うクールなサイクリストに連絡をひたすら取り続けた。 
当時取扱いがニホンでなかったSOMAを50本直接SFから飛ばし、マイク・デサルボには3本のハンドメイドバイクをオーダー、海外とのやり取りから運命的に出会うことが出来た市川の湊さんからは大量のメッセンジャーバックを仕入れ、自分が着なくなった衣料を全て山本さんに送り、7分丈のパンツやバックポケット付きのシャツに仕立て直した。 ステッカーはチープながらインクジェットで自作し、値札にした。F店で知り合ったリアルメッセンジャー・イズルにも声をかけ、開業準備手伝ってもらい、彼の電話機を店内に設置、そして未来のアーティストにメカニックルームを落書きでよごしてもらったときはある意味の最高沸点、もちろん新聞折込チラシも用意した。 
 
そしてオープンの当日2006年12月1日朝、ぼくの声が失われた
 
 
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多分ストレス性の何かなんだったと思うけど、とにかく声が出ないのだ。 
口だけで生きてきたとも表現できる自分にとって、こんなスタートはあるのかと正直焦った。
先にも上げたのだけどもお祓いをした理由はそれなりにあって、借りた店舗は以前古着屋だったのだけども、そのオーナーさんは開店前日に交通事故で死んでいた。あまりビビりじゃない方なのだけども、流石にマジでビビったので裏の氏神様にお祓いをお願いしていたのだった。まぁ生命があっただけマシだと今では思えるのだけども。 
 
 

 
兎にも角にもオープンだ。 
仕入れたフラッカーズはほぼ原価に近い状態で設定、チラシもすでに配っている。 近隣の自転車店にはじゃんじゃか文句を言われた丸石の営業さんには悪いことをしたけど、こっちも必死だ。(そして丸石は中国の会社であり、もう無いと言ってもいいので時効だろう。) 
出ないながらも振り絞って出すちぎれ声と身振りで、最低3時間で売り切ろうと思っていた5台がものの30分で売り切れた。 
これまでやった色々なことが血肉に染み渡っていることを実感できた。 
あとはひたすらパンク修理とタチ交換がやってくるのを待てばよいのだ。 
 
 
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でも現実はぼくの思いとはまったく違う方向に転がり始めていた。 
過去には大変乗りにくいダウンヒルバイクが青山に大量に溢れた時代もあった。いわゆるバブル期だ。
そして回りめぐる流行によって自分の立ち位置なんて見る必要もないキッズたちは、再度やんわりと自転車に目をつけ始めていた。ほとんどの業界人はその事実を認識していなかったこともあり、まぁしょうがないなとあの老舗店にコンタクトを取り、ありったけのピスト・フレームを手に入れたのだけれども、さまざまな胸騒ぎとジーパンを探し求めていた10年前の記憶から、それは自分のしたいことではないと直感的に気づいていた。 
 
機能自体には道具の本質的実態はないという答えにたどり着いていたこともあり、我が心の名機スチームローラーを、この時とばかりに徹底的に売ることに尽力した。 そう、まるであのビブショーツのように。 
そしてこの先の10〜20年の未来のためにも。 
そしてそれはクロスチェックへとつながり、サーリーというブランドを世間は否応なく知ることになったと確信している。 (この話は次回にとっておく。)
 
 
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3年間はあっというまに過ぎていく。 
 
 
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ちょっと変わったまっとうな人間がサークルズをいつも通り過ぎていく。 
 
 
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12坪の旧店舗はあっというまに手狭になり2人の売り子と4人のメカニックは店から溢れ出ることになっていた。
 
 

 
土木事務所と警察から電話がなる、2ちゃんでホモショップ扱いをされる。(その御蔭でやっと生粋のサブカル嫌いになれた、宮崎さんや富野さんと同じくらいに。感謝してます。)
 
 
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ナッツ(アーバン・オリエンテーリング)はせっせと毎月やっていた。  
 
 
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そこで出会ったカップルが毎年結婚していく。
 
 
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自転車がりっぱな出会いのきっかけになりえると確信する。 
 
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運命は自分と同じ誕生年月のビルをぼくに届けてくれた。 
 
 
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そんな2009年がもう終わろうとしていた。 
 
 
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(サークルズ旧店舗最終営業日/撮影者 落合)

 
 
– サークルズ年暦・レイヤードとコンテンツは裏切らない編 – につづく
  
 

– INFORMATION - 

 
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サークルズ10周年記念祭

場所:PLASTIC FACTORY
日時:12月3日(土) PM7:00~
 
みなさまと良き時間をすごせれますように現在ビルドアップ中です。
ぜひ手帳に書き留めておいていただければ幸いです。
 
 

田中 慎也
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