台風が来るとワクワクする。
大気はパワーに満ち溢れ、世界は混乱し、学校は休みになる。そんな台風クラブのような興奮はもちろんのこと、サーファーの一部の上級者のように、上手く天気を見極められれば特別な体験と景色を見る事ができる。
いや、そんな不謹慎な事は言ってられない。これまで3回中止になり、今回で4回目の開催チャレンジになっていた山と道の「山道祭」。今回もまさかの台風接近で開催判断を迫られる事態になっていた。
何か呪われてるんじゃないかとか、石鎚山の神のパーミッションが取れてないんじゃないかとか、色々言われていたけど、結果的に開催された今回の山道祭はまさにその”台風のおかげ”で澄み渡った空の元で、最高のお祭りになっていった。
BIKE to 山道祭
今回も山と道ジャーナル編集長の三田さん(@mtmsak)と事前に自転車でのアクセスを相談していた。共に徳島スタートで会場に向かい、結局途中合流は叶わなかったけど、その土地を理解するのに、ハイクだと深く、バイクだと広くというそれぞれの特徴があってどっちも良いよねっていう自転車アクセスの面白さを会場で話す事ができた。
四国三郎を源流まで遡ってみたい
坂東太郎、筑紫次郎、四国三郎。日本三大暴れ川の異名であり、それぞれ利根川、筑後川、吉野川である。
山道祭が石鎚山で開催されると聞いてライドルートを探し始めた時に、いつものように司馬遼太郎「街道をゆく」シリーズの目次ページから該当地域をあたってみた。
梼原街道は以前に読んだので、32巻の「阿波紀行」を読んでみたらこれがまた面白い。司馬遼太郎と須田剋太のいつもの二人が、淡路島から四国に渡り、徳島から吉野川を遡って祖谷まで行く旅行記であり、その先々で出会う物事から過去の出来事を辿っていく歴史モノでもある。
例えば徳島の一大産業であった藍染と、その産業構造上育まれた徳島人の気質や、そこから生まれた阿波踊りの歴史、室町期の管領細川氏やそれに取って代わった三好氏の勢力の事、秀吉の四国攻め後に徳島に封ぜられた蜂須賀家などといった歴史の大局から、郷土資料から読み解く地元の名士の話など、速読ができたと言われる司馬遼太郎ならではの膨大な知識と、それを元に当時の様子を回想する小説家としての述懐が本当に面白い。それを読んでからその地域を走ると、見える景色がだいぶ変わってくるのでおすすめしたい。
また、徳島平野の中流、美馬町あたりから吉野川上流を見る時に、右手の讃岐山脈と左手の四国山脈の折り重なりが(特に夕方)本当に美しい事、池田町あたりで直角に曲がって四国を縦に切り裂く渓谷の幽玄な景色など、これまで何度か車で通って感銘を受けた川であるし、目的地である石鎚山脈の南面がその源流になっている事で、山道際に合わせて吉野川を遡って石鎚山に到達したいという思いは強くなる一方だった。それも4年越しで実現するのである。
大歩危(おおぼけ)辺りの安宿に素泊まりして濡れた服や装備を乾かしたものの、翌日は朝から土砂降りの豪雨。各地で水害が発生しているニュースを寝ぼけ眼で見つめながらも走り出した。杉という地名の場所にある日本最大の杉や早明浦ダムを通って、源流のある瓶ヶ森林道(UFOライン)を目指した。
西条と石鎚山信仰
降り続く大雨でブレーキパッドの心配をしつつ、瓶ヶ森から瀬戸内海方面に一気に下ると、石鎚山信仰の中心地である西条市に到着する。どこを掘っても石鎚山の伏流水「うちぬきの水」が出てくる名水の街であり、どこからでも石鎚山が見える街でもある。
役行者が開山したという修験道の行場である石鎚山は西日本最高峰。山そのものが御神体であり、麓の口ノ宮本社、中腹の中宮成就社、山頂の奥宮頂上社と順に登拝していく。山道祭の会場へ登り返して行く時には台風一過の快晴だった。
石鎚ロープウェーへの道の途中から少し分かれ道を行くと、古い登山道の入口だったであろう場所に廃墟の集落があった。参拝登山がもっと多かった往時の姿に思いを馳せつつ、今後はどんどん無人化していくであろう山中の小集落の事を思った。
ついに到着 山道祭
今回も山と道代表の夏目さんによる、「沖縄・九州から来たハイカーはいるかっー?」っていう各地域ごとのハイカーに呼びかける掛け声から始まった山道祭。地域ごとのハイカー達をその呼びかけに応えていく。海外を含む全国津々浦々から集まっていた。
祭りというのはその地域に住むローカルの結束で成り立っているものだけど、高度にネットワークされた現在は、場所に縛られず同好の志を持つ人々による文化的ローカルの祝祭もある。
コンサートやレースなどの興業もそういった文化的ローカル祭のひとつだけど、ULハイクという分野のローカル祭はこうやって山の上で開催される事がとても面白いし、その文化をハイクライフコミュニティとして全国で耕し続けている山と道も、プロダクトの良し悪し以上に魅力を感じるメーカーである。
山の上にある集合地点にあらゆるルートと方法で集まってくるハイカー達。昔の山サイ研がやっていた、峠集合のライドのようで面白いので、自転車でもできないかなと思う。
マジックアワーになり、満月が昇ってくる頃、ついに実現した山道祭の地元協力者たちが櫓(というかステージ)に上がって地元愛を叫ぶ時間があった。もちろん流暢なマイクパフォーマンスでは無いんだけど、それが逆にリアルに地元愛として伝わってきてとても良かった。そうそう、こういうのを見るのが好きで各地のお祭りを見に行ってるのだ。
文化のローカルも、地域のローカルも両方ある山道祭。今回も最高の時間を過ごすことができて本当に楽しかった。ありがとうございました。
祭の余韻に浸りながらの西条散策
前回の中止だった時も石鎚山まで来たのだけど、その時はそのまましまなみ海道を通って本州に渡った。今回は帰りルートをあまり考えて無かったけど、どうも西条から大阪まで夜行フェリーが出ているらしいという事を知り、当日予約で乗ってみることにした。その時間までは自転車で西条周辺を散策してみた。
東予と大阪南港を夜行で結ぶオレンジフェリー
しまなみ海道を走る人にとっては定番なのかもしれないけど、このオレンジフェリーが予想以上に良くてびっくりした。9,000円ほどで大阪まで移動することができ、夜行なので宿代も浮くし、全て個室で騒音や揺れもほとんどなく熟睡でき、お風呂やシャワーも充実していて、食堂も立派、出港の前後の時間も船に滞在することもできる。
しまなみ海道の今治までは少し距離があるけど松山に抜けるよりは近いし、しまなみに行かずに四国を旅するにも良さそう。もう一度これに乗る旅を計画してみたいと思う。
4年間お預けをくらっていた山道祭。祭ができない期間は人々の心が少しづつ離れていくというのを、おそらく日本全国で中止になっていた地元の祭を支えている祭ピープル達も、同様に感じていたに違いない。でもその後にこんなに素晴らしい体験が待っているなんて誰が想像しただろうか。いまだに余韻に浸りながら、やっぱり祭は最高だし、必要不可欠だと思い至るのだった。
装備についてのメモ
距離が長いのでロードバイクを選択。3泊4日でテント泊込みの荷物を山と道のMINIに詰め込み、背負ってのライドだった。ベースウェイトが4-5kgあるとやはり体の負担は大きく、フレームバッグの方が走行の影響が少ない事がよく分かる。大雨を見越してシューズはベッドロックサンダルのみ。ツーリングペダルに交換したが、新しい組み合わせをいきなり本番で使うのは良く無かった。ペダル面が滑るためダンシングがやりにくくなり、上りが続く場面でかなり辛かった。
ウェアはウール系のTシャツと、山と道の5-Pocket shortsを2組用意。会場の予想最低気温は6℃。寝袋は持たずに軽いダウンジャケットも持って行った。レインウェアは山と道のUL All-weather Hoodyとモンベルのサイクルレインパンツ。やはり1日中雨の中で活動すると水が染みてきた。
荷物は全てカバンの内側で防水するように、スタッフパックやジップロックに入れてからバッグに入れた。自転車にはポーセリンロケットの防水ハンドルバーバッグのみ。カメラやバッテリー系はここに収納されている。