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「週刊 球体のつくり方」Vol.36

動的瞑想の話

あけましておめでとうございます。
本年もCirclesならびに「球体のつくり方」をよろしくお願いいたします。



年の始まりは、不思議と立ち止まることが許されるタイミングなのだなと思います。今年のわたしの小さな目標として、少しだけ社会が作ったスピード域から降りてみて、自分にとって心地よいと感じるリズムを自分で作っていきたいなと思っています。

引き続きよろしくお願いいたします。

誰にも見られない速度域で

みなさんはロビン・ウィリアムズという俳優を覚えているでしょうか。

彼は自転車をとても愛していました。わたしは2008年にポートランドで開催されたNAHBSで、彼と一言二言の言葉を交わした記憶が残っています。

彼の自転車への愛情がかなり深かったのは、彼の死後、オークションに出品されたコレクションを見れば一目瞭然なのですが、彼の収集はセレブリティの気まぐれでも、物品の誇示でもなかったのだと思います。

彼が自転車に乗ることに求めていたのは、「ハリウッドのロビン・ウィリアムズ」という役割から、ときおり降りるための大切な時間だったのだろうと推測します。

彼は、生涯で80台以上の自転車を所有していたといわれています。
ロードバイクもあれば、歴史的なものもあり、奇妙な造形のもの、速さのための道具、遊び心に満ちたものまでが混ざっていました。
彼自身の言葉によれば、自転車に乗る時間は「動的瞑想(Mobile Meditation)」だったとあるインタビューで読みました。
役割から解放され、評価から離れ、ただ呼吸と風だけが残る時間が、とても大切なんだと。

世界中を笑わせ続けた男が、
誰にも見られることのない速度域の中で前に進み、たまに立ち止まって、周りを見渡す。
それが、彼にとっての自転車だったのだと思います。
そうでなければ、あの小さな規模だった時代のNAHBSに、わざわざ足を運ぶこともなかったでしょう。

速さから降りた理由

人間とはとても弱い生き物なので、わたしもまたある時を境に速さという物差しから逃げ出すための口実を探しだしたのかもしれません。
でも自転車をあきらめなかったこと、だからこそできること、考えることを続けてきたので、けっして怠慢ではなかったと、いまの自分は確信しています。
そして自分の大切な感覚を失わずにこの世界で生き残るための、とても自分らしい自然な経緯だったのだとも思います。

手の跡が残るということ

物造りの現場には、不思議な重力があります。
肩書きや実績、速さや結果が、なぜか効力を失うのだと思っています。
代わりに浮かび上がってくるのは、「なぜ、これを作るのか」「どうやって」「だれが」という、とても率直な問いです。

Circlesが、ハンドメイドフレームを日本へ運び続けているのも、同じ理由からです。
単に「かっこいい道具」や「良い道具」を売りたいのではないということです。もちろん本当に素晴らしいのですが。

限りなく研ぎ澄まされたシンプルな造形美。
パイプとパイプとの繋ぎ目。
人が作った証の中には、効率性やスペックでは決して測ることのできない、尊重すべき自転車が持っている「自由」の証が、確実に刻まれているからなのでしょう。

ハンドメイドバイクとは、誰かと競うためだけの道具として生み出されたわけではなく、自分が成長するためのリズム装置としての道具だからなのかもしれません。

自分の速度で生きる人たち

話は変わりますが、個人的に愛してやまない忌野清志郎さんの話を少ししてみましょう。

彼は50歳を過ぎてから自転車の虜となり、読者なら知っていると思いますが、ケルビム製のロードバイクに跨り、鹿児島までバンド仲間と走りました。

「坂道は必ず終わりがあるんだぜ」
そんな彼の名言を知っている人はいるでしょうか。

いつも笑いながらペダルを回す彼の姿は、速さを好むサイクリストとはまったく違う次元にありました。
彼は自転車を「ブルース」とも呼びました。
楽しくて、つらくて、でも最高にかっこいい。

清志郎さんが選んだのは、既製的な速さではなく、
自分の人生の歩幅に合った自転車でした。
それは、過去の偉人が「アンレーサー」と呼称した、
サイクリストとしての生き方、そのものだったのだろうと思っています。

ロビン・ウィリアムズや忌野清志郎のような表現者たちが、人生の後半で自転車やハンドメイドバイクの世界に惹かれていった理由とはいったいなんだったのでしょうか。

もしかしたら、既製品(レディメイド)という「誰かが決めた枠組み」の中に、彼らの生き様は、どうしても収まりきらなかったからではないのかなとわたしは思っています。

誰かのために用意された速さではなく、
自分自身が心地よいと感じれるリズム。

それを、具体的な形として引き受ける場所をそろそろ正しく作りたいなとわたしは近年ずっと考えていました。

Circles Tailoredはまだ、完成された答えではないと思っています。
試行錯誤の途中にあり、迷いも、揺らぎも同時に抱えています。
けれど、だからこそ信じていることもあります。

たった一人のために誂えられた道具は、
その人の人生を、正しく肯定する力を持っているということを。

アンレーサーである自転車人にとって、ゴールは必要ありません。
あるのは、自分の選んだ速度で進むことを許された、終わりのない道だということです。

それではみなさんごきげんよう、また来週お目にかかりましょう。

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kyutai
田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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