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「週刊 球体のつくり方」 Vol.42


大きな田舎という都市の話

東京にCirclesを出店してから、出張も多くなったせいなのか、なにかと都市について考えることが増えました。

思い返してみると、自転車で区またぎをしていた頃から、街の境目のようなものが、なんとなく気になっていたようにも思います。
しかし実際のきっかけは、もっとどうでもいいことでした。
つまりは夜にだらだらとThreadsを眺めていたということです。

最近のSNSなどはよくできていて、IPアドレスや個人情報からか、住んでいる地域を推測しているらしく、やたらと「あんたの街」についての話題が流れてきます。

わたしの場合は、
名古屋のいいところ。
名古屋の悪いところ。
名古屋はつまらないとか、住みやすいとか、文化が弱いとか、メシがうまいとか、味が濃すぎるとか。

そんな人々の投稿を眺めていると、だんだんと面白くなってきます。

この街を愛している人もいれば、心底つまらないと思っている人もいる。

そしてどちらの意見にも、わりと本気だったりもする人がいることも見えてきます。

なぜ都市といえば東京なのか

もうひとつ、日本に生まれてずっと気になっていることもあります。
それは、どうしてこんなにも多くの人たちが、東京という街にばかり目を向けてしまうのだろう、ということです。

もちろん東京が魅力的な都市であることは疑いありません。
世界でも有数の大都市ですし、文化も情報も集中しています。

しかしそれでも思うのです。
日本には他にもたくさん個性的な都市があるのに、どうして「都市」と言うと東京の話ばかりになるのだろう、と。

そんなことをぼんやり考えているうちに、そもそも都市とは何なのだろうという、もっとシンプルな疑問が浮かんできました。

そして気がつけば、名古屋という街のことをちょっと真面目に考えてみたくなったのです。

なぜ自分は名古屋に住んでいるのだろう、と。

名古屋という街の性格

もちろん理由はいくつもあります。
仕事もありますし、仲間もいますし、大好きなお店もあります。
しかしそれとは別に、この街の性格のようなものについて、最近少しずつ言葉にできそうな気がしてきました。

名古屋という都市は、一般的に「つまらない」とよく言われます。
東京や大阪の人に言わせると、文化が弱いとか、刺激が少ないとか、そういう評価になることが多いようです。

確かに、毎日のように新しいイベントやパーティーが起きているわけではありません。大きな美術館が突然できるわけでもありませんし、世界的な文化の中心地というわけでもないでしょう。

しかし、わたしはこどものころより思っていたことがあります。
ここは、ものすごく生活がしやすい街なのではないか、と。

道路は広いですし、平坦です。
車でも自転車でも移動がしやすい。
食べ物もおいしいですし。家賃も東京ほど高くありません。
少し走れば海にも山にも行けます。

けっして派手ではありませんが、日常生活の性能がとても高い。
そんな都市だと思うのです。

イベント都市と日常都市

最近学んだ都市研究に、こんな考え方を見つけました。
都市には大きく分けて二つのタイプがあるというのです。

ひとつは「イベント都市」
もうひとつは「日常都市」

イベント都市とは、常に何かが起きている街です。文化や情報が集中し、人が集まり、刺激が多い場所。東京やニューヨーク、パリ、ロンドンのような都市がこれに当たるのだと言います。

しかし、そうした大都市は往々にして生活のコストが高く、人口密集率も高く、日常の快適さは必ずしも高いとは考えられていません。

一方で日常都市とは、生活の快適さを中心に設計された街とのこと。派手なイベントは少ないかもしれないが、通勤は短く、住環境は安定していて、生活そのものは快適そのものです。

テレビなどでよく紹介されている、ヨーロッパで「住みやすい都市ランキング」の上位に来るのは、実はこうした日常都市だったりもします。

例としては、コペンハーゲン、ウィーン、チューリッヒなどがよく挙げられています。

自転車文化が育つ都市

そして面白いことに、これらの都市にはもう一つ共通点があります。

自転車文化が強い都市だということです。

自転車文化が育つ都市には、いくつか条件があります。
地形が平坦であること。
移動距離が人間の生活圏に収まっていること。
そして都市のサイズが「人間的なスケール」であることです。

都市研究では、だいたい人口30万から100万人くらいの都市が、人間の生活スケールに最も近いと言われているそうです。このサイズだと、自転車で20分ほどの範囲に生活のほとんどが収まります。

つまり、都市の距離が「身体の感覚」に近いということなのです。

アメリカのポートランド、デンマークのコペンハーゲン、ドイツのフライブルクなど、自転車文化で知られる都市は、こうした条件と重なることが多いようです。

不思議な都市、名古屋

ところがここで、名古屋という都市を見てみると、少し不思議なことに気がつきます。

名古屋の人口は230万人と、かなりの規模なのです。
普通なら巨大都市のカテゴリーに入るのですが、都市の構造を見ると、意外なほど「中規模都市」に近い性格をしています。

街は平坦で、道路はグリッド状に整備されていて、移動がしやすい。産業都市として発展してきたため、都市の中心にすべてが集中しているわけでもありません。

その結果、名古屋は不思議な都市になったのかもしれません。

よく言えば、巨大な日常都市
ちょっと皮肉を込めると、巨大な田舎街

人口規模は大きいのに、生活のリズムは中規模都市に近い。
つまり「大きな田舎」のような都市だということです。

この言葉は少し乱暴に聞こえるかもしれませんが、実はかなり本質を突いている気が個人的にはしています。

大都市のような刺激は少ないかもしれません。
しかし、日常生活の快適さという意味では、かなり高いレベルにある街だと、生まれも育ちもこの街である、わたしもそう感じています。

生活文化としての自転車

わたしは自転車という文化に関わる仕事をしていますが、世界を見ていると、ひとつ面白いことに気がつきます。

自転車文化が強い都市は、ほとんどがこうした日常都市だということです。

ポートランドもそうですし、コペンハーゲンもそうです。どちらも世界的に有名な都市ですが、毎日派手なイベントが起きているわけではありません。

むしろ、自転車は日常の移動手段として存在しています。
通勤にも、買い物にも、コーヒーを飲みに行くときにも、自転車が使われます。

そう考えると自転車の本質とは、イベントではなく生活道具なのだと言えるのでしょう。

巨大な日常都市の可能性

この視点から見てみると、名古屋という街には、まだ見えていない可能性があるようにも思えてきます。

派手な文化都市ではありませんし、東京のように情報とイベントが集中しているわけでもありません。

しかし生活の基盤が安定している都市には、ゆっくりと文化が育つ土壌があるのではないかとわたしは考えています。

花火のように派手に瞬発的に広がる文化ではなく、土の中で少しずつ根を張っていくような文化です。

わたしが好むグラスルーツ思想だということなのです。

自転車とは、きっとそういう文化体質なのだと思っています。

速く走ることや遠くに行くことももちろん楽しいですが、それ以上に、日常の移動の中に溶け込む瞬間があります。
買い物に行く道、コーヒーを飲みに行く道、仕事に向かう道。

その積み重ねの中に、生活のリズムのようなものが生まれていきます。

名古屋という街は、もしかするとそうした文化がゆっくり育つ場所なのかもしれません。

派手ではありません。毎日何かが起きているわけでもありません。

しかし日常の性能という意味では、かなり高い場所にある街です。

大きな田舎街。
言い方を変えると、巨大な日常都市。

そんな都市の中で、自転車という文化がどのように育っていくのか、これからも少しずつ考えて、行動していきたいと思います。

それではみなさんごきげんよう、また来週お会いしましょう。

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田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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