古い自転車友達から突然に連絡があった。
「福島原発の見学ができるから行かない?」
もう二つ返事でOKである。自転車はどこかへ移動する道具。面白そうなお誘いには必ずのる。
いや、面白そうな、と言っていいのだろうか。3.11の大震災に起こった福島原発の事故は、まだ誰もがつい最近の出来事のように思い出せるだろうし、避難生活が継続している方もいらっしゃると思う。
そういった現実と向き合い、悲劇的な場所を旅行として訪れることがダークツーリズム(Wikipedia)と言われるようになった。学生の頃に戦争の風景が見たいとバルカン半島を旅行した時と同じ、興味と恐怖が混ざった気持ちで福島に向かった。
自転車文化発信・交流拠点「ノレル?(NORERU?)」
集合場所は福島県富岡町。少し手前のいわき市から自転車で走ってみることにした。
いわきには前々から行ってみたかった自転車文化発信・交流拠点「ノレル?(NORERU?)」があるからだ。

震災復興をきっかけに生まれたアンダーアーマーの巨大な物流倉庫と、いわきFCの練習場やクラブハウスがある巨大な施設の一角にあるノレル?。そのコントラストに驚きつつ入ってみると、木の家形が3つ突き出した独特の空間が広がっていた。

スタッフの方に少し話を聞いて、ここが日本パラサイクリング連盟の事務所を兼ねていること、シェアキッチンや畳のスペースなどがあること、自転車メンテナンスや販売も行っていることなど、ここが単なる自転車のためだけの施設ではなく、色々なカルチャーがミックスされた場所であることがよく分かった。
ノレル?(NORERU?)
https://noreru-iwaki.jp
Instagram
https://www.instagram.com/noreru_iwaki/
時空散走
そしてもうひとつ、このノレル?を拠点に行われている地域文化をめぐる自転車ライドイベントとそれをまとめた地図などのコミュニティサイクルツーリズムのプロジェクト「時空散走」がある。

自転車でただ目的地に移動するだけでなく、その場所がどんな歴史を経てきたのかを知ることは、ライドをより立体的に楽しむために重要なことだと思う。その情報がまとまったマップがとても良くできていて素晴らしかった。
ノレル?の自転車部門でスタッフをしている元日本代表チームメカニックの梅沢さんに、富岡町までのおすすめルートを教えてもらって本格的にライドスタート。
海沿いのサイクリングルートを通って、車通りの多い国道6号を避けて走るルート。細かいエスケープルートも色々と教えてもらった。

特に海沿いに53kmにわたって伸びる復興サイクリングロード「 いわき七浜海道」は景色も走りやすさもとても素晴らしかった。津波対策の大きな堤防の一部がサイクリングロードになっていたりして、防災と自転車道が見事に融合しているのもユニークである。

「鮮魚食堂うろこいち」で美味しい刺身定食を食べてさらに北上。震災当時にニュースでよく聞いたJビレッジを通過。調べてみたところ、元々は東京電力が地元への利益還元として整備したサッカーメインのスポーツ施設で、震災時には原発事故対応の拠点として国に接収されていたようだ。


福島県の海沿いを走っていると、太平洋に流れ込む小さい川、小高い丘、砂浜の美しい風景に混じって、火力・原子力発電所が交互に現れてくる。震災前には東京電力の総発電量の2割を担っていたという福島第一・第二原発であるが、同じエリアにある勿来や広野の火力発電所もとにかく巨大で、都心の電力が福島県に依存している実態を身をもって感じることができた。

月の下・時の海
大きな新しい堤防と、全てが新しい建物の駅前。そして雑草に覆われた広大な空き地。美しい自然はそのままに、人工物の異常さが目立つ風景に違和感を感じつつ、初日の目的地である富岡町の「時の海 – 東北」プロジェクトのオフィスに到着。ここは世界的な現代アート作家である宮島達男さんの東北オフィスでもある。

富岡町は福島第一原発から数キロ手前の町で、震災時には高さ21mの津波が押し寄せ、原発事故により全域が避難地域になってしまった町である。


今では避難勧告も解除され、普通の生活が戻ってきているけれど、16,000人いた人口は2,000人程度に減ってしまったとのこと。
宮島達男さんはこの地に復興も絡めた新しい美術館をオープンさせるために活動していた。そのオフィスでは様々な場所から移住してきた人が集まり、定期的に文化的なイベントが開催されているようだった。
この日はグラフィックデザイナーの長嶋りかこさんのトークイベントが開催され、満員で盛況だった。大学のほぼ同級生でもある彼女の話は、デザインの力をどう使ってきたかという事が中心でとても面白かった。
夜は移住してきた人の家で遅くまで飲みながら色々な話をした。

新しい美術館や、今回のようなトークイベントだけでなく、様々な文化的イベントがこの地域で行われているのが、イベントフライヤーの多さからも分かった。そういった活動のベースが、この地域に大きな負担を担ってもらっている対価として回ってくるお金という事も、みんなが理解していて、それについてどう考えるかも思考と対話が繰り返されている。難しい問題ではあるけれど、行動し続ける人の強さがそこにはあった。
福島第一原発へ
2日目のお昼に集合して、いよいよ原発見学へ出発する。富岡町にある東京電力廃炉資料館に集合して、まずは身分証の確認と、座学や映像での説明が行われた。

深々とした謝罪から始まる東京電力の事故解説映像。メッセンジャーのデリバリーで走った計画停電時の薄暗い銀座を思い出し、なんとも言えない気分になる。

防護服は必要ないけど、長袖長ズボン必須などの装備をそれぞれ確認し、カメラやスマホなどの記録機器を含め、すべての荷物を部屋に置いたまま、大型バスで原発に向けて出発した。
国道を走って原発に向かう途中、富岡町の小高い場所には多くの廃墟となった建物が残っていた。これでもだいぶ減った方で、早く壊さないと費用負担が大きくなってしまうそうだ。
警備ゲートを通っていよいよ原発の敷地内へ入る。解説によるとここでは常時4,000~5,000人が廃炉作業に従事しているとのこと。夏は熱中症対策としてお昼14時ごろには作業が終了するようで、作業員も帰る途中の人が多い感じだったが、周辺の町のどこよりも活気があった。

様々な手続きを経て、線量計を身につけ、バスを乗り換えて敷地内に入る。バス内の線量計が周辺の町より低い値になっているのは、地面などの除染が徹底的に行われているからだそうな。
そしていよいよ原発の建屋の目の前まで来た。線量計の値はかなり上がっている。バスから降りると、目の前にあの原発建屋が4棟並んでいる。




撮影禁止の原発敷地内写真はスタッフが撮影してシェアしてくれたもの。安全管理のためだそうだ。
7月下旬の眩暈がするほど暑く快晴の夏空の下、水素爆発した建屋群が静かに並んでいた。それぞれの建屋の被害状況の違いとその対策を説明してくれるのだけど、なんとなく現実感が無い。これは一体なんなんだろうか?なぜこんなことになっているのだろうか?

見学が終わり、放射性物質を取り除くゲートを通って線量計を返却する。見学中に浴びた放射線の総量は、歯科のレントゲン1回分と同じ程度とのこと。今はもう十分安全なんです、という説明。
富岡町の廃炉資料館に戻って解散したあと、自転車で廃墟が多かった辺りまで自転車で走ってみた。ケーズデンキはオープン直前に震災があり、一度も営業してないままらしい。

科学は本当に信用できるんだろうか?
100%安全と言われていた原発がなぜ事故を起こしたのか?今回は定休日のために行けなかった双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館では、そういった事も含めて詳しく解説されているそうだ。
賛否あるだろうが、東京電力は真っ当に事故に向き合っているように思えた。でもどれだけ科学的に論理的に説明されても、頭では理解できても心で理解できない部分が残ってしまう。僕は基本的には人間の知性と理性を信じている。色々なエラーが起こる事も含めて、それを乗り越えていく力があると思っている。科学が発展してできる事が増えたからこそ、長嶋りかこさんが話したデザインの力の使い道と同じように、科学の力をどのように使うのか、研究開発より先に考える事があるのではないだろうか。
福島原発は年間2万人の見学者を受け入れているそうだ。今のところすべて招待制なので希望したら見られるわけではないけれど、機会があればぜひ訪れてみて欲しい。

約70km/1泊2日ホテル泊輪行有りの軽装備。自転車はアルフィーネDi2を使った11速化のテスト中なので完成したらまた紹介します。