量産されない暮らしかた
自分好みの革靴を求めるように
丸くて愛嬌のあるトゥの革靴が欲しいだけなのに、店に行けば行くほど、並んでいるのはシュッとして尖ったものばかり…
そういうのも格好いいとは思うんです。思うんですが、こちらが求めているのは「戦闘」じゃなくて「散歩」なんですよね。

自分の足にそっと寄り添ってくれるような、そんな靴。
なのに、なかなか一般市場では見つからない。
シャツだって同じ。
カジュアルで着れるボタンダウンシャツを探しても、だいたいは細身で、襟はぺたんこ。一応試着をしてみますがなんだか「借り物」っぽく感じてしまうのは、わたしだけなのでしょうか。

以前は、自転車にも似たような違和感を感じていました。完成車をいくつか乗り継いでみても、どうにもしっくりこない。なんとなく感覚と微妙にずれているような気がしてしまう。些細なことの積み重なりが、そんな気を起こしてしまうのでしょうか。
そんなわたしが思い至ったのは、「これはもう、作ってもらうべきなのかもしれない」ということだったのでした。
最初のハンドメイドフレーム、ズノウ
大阪の今となっては伝説的なフレーム工房「ズノウ」で、人生初のフレームオーダーを体験したことに始まります。場所は前職の働き場の近くにあったショップ。フィッティングとヒアリングを行い、仕様や色を決めて、夢のような時間だったことを覚えています。
が、やっぱり予想通りにちゃんとは届かない。(笑)
SNSもなく、進捗の連絡などもあまり進んでいない時代。「本当に作られているのかな……」と不安になったものです。でも、いざフレームが届いたとき、その不安はちゃんと吹き飛ぶものなのですね。本当に良い勉強になったと思います。

そしてやはりそれは、自分の体に、用途に、暮らしに、ぴったりと寄り添ってくれる、初めての“正しい相棒”との出会いだったのでした。
アメリカンハンドメイドとの衝撃的な出会い
その後、出会ったのが Desalvo Cycles(デサルボ・サイクルズ)でした。そのフレームに初めてまたがったとき、世界の謎がひとつとけて、勝手に転がり出していくような感覚を感じた記憶があります。

ペダルを踏めば、素直にスッと伸びていく。ハンドルを切れば、こちらの意図を汲み取っているかのように、迷いなくラインを描いてくれる。
硬すぎず、柔らかすぎず──
芯のある優しさ、とでも言えばいいでしょうか。
さらに驚いたのは、その塗装でした。当時アメリカで人気だったペイント工房「スペクトラム」による多層の仕上げ。パウダーコートの上から何層にも重ねられたウレタンは、光の加減で表情を変え、見るたびに違う深さを感じさせてくれる。

それは「機能」だけでは語れないものでした。
軽いとか、強いとか、そういう話ではなく、手に取るとわかる、丁寧に“時間がかけられている”ということ。そして乗るたびに、そのかけられた時間に触れているような感じ。
これはもう、ただのフレームじゃない。道具として優れている以上に、“わたしの時間”を正しく受け止めてくれる存在だったのでした。
対話から生まれる一本のバイク
その後、多くの出会いがあり、アメリカンビルダーたちと注文のやり取りをしていくなかで、まず感心したのは、とにかくその質問が多くて、そして細かいということでした。(アメリカ人なのにっていうとコンプラに引っかかるのでしょうか。汗)

「普段走ってる道はどんな舗装?トレイルの状況?」
「坂を登るとき、どんなポジションが好き?どんな姿勢になる?」
「ペダリングの癖は?コーナーで足って止める?」
「走ってて一番気持ちいいと感じるのはどんな瞬間?」
まるで就職面接とカウンセリングを同時に受けているような気分でもあり、でも、そのやりとりを通して、こちらもだんだんと自分の走り方や好みを言葉にできるようになってくるものなのですね。
こうして生まれる1本のバイクは、ただスペックを詰め込んだものではありません。「対話」と「気づき」の結晶みたいなものだと、今では思っています。
頑固だけど、しなやかなビルダーたち
そしてビルダーたちと接していて強く感じるのは、彼らが「職人」であるということ。時に頑固。でもそれは、自分の流儀に誠実だからこそ。簡単には本質を曲げません。ただ一方で、数本だけ作って“ビルダー”を名乗り、その後はOEMに任せてしまうような人たちも見てきました──そういう人たちは、決して長くは続かない。

でも、不思議なことに、続けている人ほどしなやかでもあるのです。
時代は変わる。パーツも変わる。だからこそ、しなやかさは信念を長く保つための技術なのかもしれません。時代の流れを読みながら、変えるべきところは柔軟に変え、でも変えてはいけない部分は頑として守る。そのバランス感覚があってこそ、何十年もビルダーとして生きていけるのだと思います。
彼らのフレームには、そうした哲学と生き様が完全に詰まりきっていると感じるのです。
ハンドメイドバイクの魅力は伝わりにくい
現在、わたしたちサークルズは仕事としても多くのハンドメイドバイクに関わっていますが、正直、その魅力を一般層に伝えるのは本当に難しいと感じています。
多くの人はカスタムオーダーという体験にまず馴染みがありません。「高い」「時間がかかりすぎる」「そこまでする必要ある?」という反応は、もう何百回も聞きました。

そのたびに、「ですよねぇ…」と思いながら、それでも伝えたくなるのは当然で、わたしたちはすでに知ってしまっているからなので。既製品では決して埋められない“気持ちの隙間”を、カスタムハンドメイドはちゃんと埋めてくれるということを。
けれど、ひとつだけ気をつけたいのは、「欲張りすぎ問題」です。
あれもこれもと盛り込みすぎて、まるでネズミの国のパレードの先頭を走るようなバイクが生まれてしまう──そんな姿を、わたしは何度も見てきました。理想が詰まりすぎて、フレームがその重みに耐えきれず、どこかで悲鳴をあげているような。
バイクに「全部」を乗せようとすると、かえって「自分」が見えなくなってしまうのかもしれません。本当に必要なものとは、きっとそれほど多くないのかもしれません。自分の経験に正しく耳を澄ませて、輪郭を少しずつなぞってみてください。

結局のところ、「足るを知る」そして「自分を知る」ということが、カスタムメイドにはとても大切なポイントなんだと言えるのでしょう。
「好き」というのは「生き方」に近い
わたしはハンドメイドバイクが大好きです。好きを通り越していると表現する方が良いかもしれません。そして、それは単に“乗り物”として好きだという話でもありません。
誰かの手がきちんと入り、その人の技術と経験と、ちょっとした癖までもが込められたもの。時間をかけて対話しながら、じっくり形にしていくもの。そういうモノに強く惹かれてしまう。

すぐに手に入らなくてもいい。多少コストがかかるのも理解できる。むしろ、その“遠回り”のなかにこそ、自分にとっての価値が宿るものだと信じてしまっているからなのでしょう。
量産されたものや、よくできた既製品が悪いわけじゃない。でも、できれば、「自分で選んだ感触のあるもの」と一緒にいたい。
そういうものがそばにあると、日々の暮らしが、少しずつ、自分の輪郭を持ちはじめるのではないでしょうか。そしてそれはきっと、自転車でも、靴でも、シャツでも、家具でも、そして、人生においてでも、同じことなのかもしれません。
どんな自転車に自分を預けたいですか。
どんな道具と、どんな日常を送ることが豊かなのでしょうか。

この文章が、そんな小さな“問い”をみなさんに手渡せたなら、これを書いた甲斐があるのかもしれません。そして世界のどこかに、きっと“あなたのためのモノ”が待っています。
それではみなさまごきげんよう、また来週お目にかかりましょう。