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「週刊 球体のつくり方」 Vol.21

リスペクトの行方

メール文化に映る、わたしたちの距離感

毎日、たくさんのメールに目を通しています。
本当にみなさま、日々サークルズをご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます。

それらのメールの内容は、注文に関することや納期の問い合わせ、感謝の言葉、そしてときにクレームであることもあります。

わたしたちが扱う製品は、たとえばネジ一本から始まり、人の手を介して組み上げられ、いくつもの過程を経て、そしてときに国境を超えて届けられるものもあります。

もちろん、その過程で予期せぬことが起きてしまうこともあります。塗装に小さな傷があったり、パッケージの中でパーツが擦れてしまっていたり、あるいは指定した商品と異なるものを送ってしまったり。

そんなとき、お客様からメールが届きます。
「どうにかしてほしい」というリクエストに、大小の違いはありません。けれど、そのやりとりの中で、ずっと気になっていたことがあります。

それは、その「伝え方」に、明確な“文化的な違い”があるということです。

リスペクトを前提とするメール、正しさを前提とするメール

たとえば欧米のお客様は、こんなふうに書き出してくれることがよくあります。

「この製品、とても気に入っています。」
「あなたたちのブランドのファンです。」
「でも、少し困ったことがあって……相談してもいいですか?」

その文面からは、相手への配慮、つまり“リスペクト”が自然とにじみ出ています。
もちろん要望の中身は「困っているから、対応してほしい」というものです。けれど、最初のその一言があるだけで、こちらも「最優先で一緒に解決しよう」と、素直に思えるのです。

一方、日本やアジアの国々から届くメールには、こんな文面も見られます。

「商品が不良です。どう責任を取るのですか?」
「そちらの検品体制はどうなっているのですか?」

読んでいて、胸が締めつけられるような感覚になることもあります。
言葉の選び方や文のトーンがとても一方的で、こちらの事情や状況には目が向けられていないことが、行間から伝わってきます。

もちろん、その背景にあるのは「ちゃんとしてほしい」という期待の裏返し。

それでも、その伝え方ひとつで、相手との距離が近づくこともあれば、思いがけず溝ができてしまうこともあるのです。

文化背景と伝え方の違い

では、こうした違いはどこから来るのでしょうか。

オランダの文化心理学者ヘールト・ホフステードの「文化次元理論」では、世界の文化は「個人主義」と「集団主義」に大きく分類されると言われています。

欧米諸国(アメリカ、カナダ、イギリス、ドイツなど)は個人主義の傾向が強く、「人は人」として尊重されることが前提にあります。
たとえミスが起きても、「あなたも人間だから、そんなこともあるよね」という空気があり、会話は「相手を尊重する」ことから始まります。

一方、日本やアジア諸国では、集団主義的な価値観が根づいており、「秩序を保つこと」や「間違えたらきちんと責任をとること」が重視されます。

そのため、問題が起きたときには、「あなたが悪いのだから、当然謝るべきだ」といったトーンになりがちなのかもしれません。

謝罪文化と説明文化

もうひとつ、顕著な違いは「謝ること」と「説明すること」へのスタンスです。

日本や韓国では、まず“謝る”ことが誠意の証とされます。自分に非があるかどうかに関係なく、とにかく謝ることで場を収めようとする傾向があります。

一方、欧米では「なぜ問題が起きたのか」「今後どう対応するのか」という説明こそが誠意だとされます。
誠実さとは「相手を理解しようとすること」と考えられているからです。

この違いは、クレームへの対応姿勢にも現れます。
謝罪文化では「誰が悪かったのか」が焦点になり、説明文化では「どう乗り越えるのか」が問われるのです。

言語構造と翻訳の壁

言語そのものにも、文化の違いが反映されています。

英語は主語が明確な構造で、感情や立場を柔らかく包みながら伝えることが比較的しやすい言語です。

対して、日本語や韓国語、中国語などでは主語が省略されやすく、意図や感情が曖昧なまま伝わってしまうことがあります。

さらに、敬語や文体が丁寧さを担保する日本語に対して、英語では言い回しやトーンで丁寧さを示すため、直訳ではそのニュアンスが失われがちです。

たとえば、
「I’m having a bit of trouble with the item I received…」
という一文は、やわらかな助けを求める響きを持っています。
けれども、日本語に直訳すると「商品に問題があります」となり、ぐっと圧が強くなってしまうのです。

「お客様は神様です」の功と罪

そして、日本文化において長年根づいているのが、「お客様は神様です」という意識。

このフレーズが生んだのは、サービス提供者と受け手との間にある“上下関係”でした。

その構造が極端に進んだ結果、最近では“人との関係性を介さないサービス”が増えてきたようにも思います。たとえばセルフ注文や食券制、卓上端末での受付などは、あえて人との接触を減らす仕組みとして生まれてきたのでしょう。

もちろん、クレームを含めたお客様の声は、製品やサービスを良くするために不可欠なものです。

けれど、その伝え方にリスペクトが欠けてしまえば、それは単なる“攻撃”にもなり得ます。

言葉にこめる、リスペクトの力

昔からメールや手紙には、その人の「文化的背景」や「言葉との距離感」、そして「相手との関係性」、そして「美学やセンス」までもがにじみ出るものだと感じてきました。

今回のテーマも、どの文化が正しいという話ではありません。
ただ、もし誰かに何かを伝えるときに、その人の立場や心情に少しだけ思いを馳せることができたなら。それだけで、世界はもう少しだけ優しくなる気がするのです。

お互いの不完全さに、もう少しだけ寛容でありたい。
伝えるという行為のなかに、リスペクト=相手の立場を思い、対話の扉を正しくノックできる人、でありたい。

わたしたちの言葉が、よりよい関係のはじまりになりますように。

それでは皆さんごきげんよう、また来週お会いしましょう。

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kyutai
田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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