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週刊 球体のつくり方 Vol.24

回るということ

自転車の気持ちよさの正体

「この自転車、よく走るね」と自分の愛車が褒められたりすると、本当に嬉しいですよね?

あるいは、自分でそう感じた瞬間が多くの人にはあるかもしれません。

ほんのわずかな力でスーッと進んでいく感覚。
ペダリングを止めても、滑るように転がり続けてくれる頼もしさ。
その気持ちよさの正体とは、一体どこにあるのでしょうか。

前回、「空気を入れるという対話」と題して、乗る前に指先でタイヤを押してみることの大切さについて書いてみました。
今回はその続きをお届けしたいと思います。空気を入れ、準備を整えたあと、実際に走り出した瞬間の「スーッ」と進む感触。
そんな、基本の“回る”ことについてのお話をしたいと思います。

気持ちよく回る。そのとき道具は相棒になる

朝の通勤路。喧騒が始まる前の街で、最初のひとこぎを軽やかに踏み出す。夕暮れの河川敷。ペダリングを止めても、しばらくスーッと転がり続ける。

そんな体験、みなさんにもきっとありますよね。

その「スーッ」とした感触は、ただのスピードでも加速でもありません。抵抗が限りなく少ない状態で、自転車が自然に「回っている」からこそ生まれる心地よさ。

そこには、不思議な一体感があります。

その裏側で黙々と働いているのが、ホイールとベアリングなのです。

自転車は「回転」でできている

当たり前のことを、もう一度思い出してみましょう。
自転車はすべて“回転”で成り立っている乗りものです。

クランクが回り、チェーンが回り、スプロケットが回り、ホイールが回り、タイヤが回り…。

その中心で、ベアリングは静かに回り続けています。

この一連の“回転”のどこか一つでも不調があれば、自転車は思ったようには進んでくれなくなります。

逆にすべてが整っているとき、自転車はまるで身体の一部になったかのように自然と動き出すのです。

“静けさ”に宿る美学

ベアリングは、わずか数ミリの鉄球やセラミック球が小さな器の中でくるくる回っているだけの部品。

けれど、その小さな存在が自転車のすべての回転を支えています。

よく整えられたベアリングは、存在を忘れるほど静かです。
音も、振動も、抵抗もない。「何も感じない」ことこそ、最高の仕事をしている証。

違和感のなさそのものが、信頼の証なのです。

「走り」とは、シャーシからはじまる

わたしはいつもこう考えています。
自転車はまず、「フレームとホイールとタイヤという“シャーシ”を整えること」から始まる、と。

それは車やオートバイにも通じる考え方です。
どんなに性能の良いパーツや変速機が搭載されていても、シャーシが整っていなければ、走りの本質は生まれません。

ホイールが重い、ベアリングの玉あたり調整が甘い、タイヤがとても減ってたり、ましてや空気を入れていなかったりして転がり抵抗が高いとか。そんな状態では、どれだけドライブトレインをアップグレードしても、自転車の本質的な気持ちよさは得られないのは、みなさまご存知の通りだと思います。

“回転のちから”を体験する

自転車整備の中でも、ホイールの変化は誰にとっても分かりやすい“ビフォーアフター”を見せてくれます。

ゴリゴリと音を立てていたホイールも、分解・洗浄・グリスアップ・玉あたり調整をするだけで、驚くほど滑らかに変わります。
ほんの少しの手間で、重力が変わったかのように軽やかに走り出す。

それほどまでに、回転の質は自転車の印象を左右しているのです。

道具から相棒へ

自転車は完成車として組み上げられ、多くの人が完成したと思った時には、実はまだただの“道具”です。

でも、乗る人が正しく空気を入れてあげ、車体を確認して、走り出したときに、初めて“相棒”になるのだと思います。

そして、体に違和感を感じたらポジションを微調整、空気圧とタイヤの関係に耳を澄まして、ベアリングを磨きながら、少しずつ一緒に育っていく関係なのでしょう。

回転の音を聴き、走りの質を感じ取りながら、最良を求めて少しづつ整えていく、そのプロセスにこそ、“自転車のある暮らし”の楽しさの本質があるのだと思います。

自転力(じてんりょく)を育てる

わたしはこの感覚を、「自転力(じてんりょく)」と呼んでいます。

それは、脚力があるとか、長い距離を走れるという話ではありません。

自転車という道具を正しく扱いながら、一緒に走ることで自分の身体と心の声を聞き、そして、自転車とともにある暮らし、そのものを丁寧に育てていく力のことなのだと思っています。

空気を入れてあげて、「調子はどうかな」と感じること。
ベアリングの音に耳を澄ませて、回転の静けさに気づくこと。
ホイールを回しながら、「あ、気持ちいいな」と小さな喜びを味わうこと。

そうした何気ない所作のひとつひとつが、すべて“自転力”です。
自転車に触れる手つきや、気づきの感覚は、そのまま暮らしの所作、手つきにもつながっていくのだと、大袈裟かもしれませんが思います。

ペダルを踏み出すときの軽やかさに気づけるようになると、自分の気分や体調、日々のリズムにも敏感になっていくものです。

自転力とは、単に自転車を走らせる力ではなく、自分と、自分の生活を“心地よく回していく力”とも言えるのではないでしょうか。

それは、難しい知識や特別な技術を必要とするものではありません。高価なパーツでも、プロの整備でもないのです。

必要なのは、「気にかけること」と「手をかけること」。
そして、「もうちょっと気持ちよく走りたい」と願う、ほんの少しの欲望だけなのかもしれません。

まずは、静かに、回ることから

自転車をもうちょっとだけ気持ちよくするのには、特別な魔法や大きなお金は要りません。

必要なのは、見えない部分に少し目を向けること。
静かに支えている回転に、耳をすますこと。

“回るということ”。
 
それはすべての始まりであり、自転車の本質です。
この“静かで小さな動き”を、これからも毎日、大切にしていきたいと思います。

それではみなさんごきげんよう、また来週お会いしましょう。

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kyutai
田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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