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「週刊 球体のつくり方」Vol.25

アンレーサーの灯 : 1章

なぜ、今この物語を語るのか

この数十年で、自転車は本当に驚異的な進化を遂げました。カーボンフレームは信じられないほど軽くなり、剛性もプロがスプリントでねじ伏せてもびくともしなくなり、電動変速装置はケーブルの煩わしさをコクピットから消し去り、GPSやパワーメーターが「走力」を数字で可視化してくれます。もはや自転車は、未来的なテクノロジーの結晶になりました。

けれども、市中に目を向けると、また別の光景が広がります。錆びたまま雨ざらしで放置され、空気の抜けたタイヤに埃をかぶったままの実用自転車。あるいは、最新モデルのスポーツ用車体の価格に驚きを隠せずに、ショップの入り口で足を止める若者たち。進化の輝きの陰で、「もう自転車は手に入らない」と諦める人の姿が確実に存在していると思います。

本来、自転車は古くは馬の代わりとして生まれ、暮らしを支えるための道具でした。通勤にも旅にも、子どもと走る休日にも、生活を広げる相棒であるはずだったと思います。ところがいつしか、モデルチェンジの波に飲み込まれる「消費財」へと変質してしまったのは、皆さんはご存じの通りかと思います。

今回からのお話は、常の世にもこのような流れに逆らった人たちがいたということを伝えたいと思い筆を執りました。

ひたすらに「乗り続ける思想」を掲げ、消費ではなく使用、速さではなく日常を語り続けたサイクリストたち。その声は時代ごとに、たびたび小さくなり、消えかけた灯のようでした。けれども確実に種火として残り、異なった場所でもって、異なる形で灯をともすサイクリストがいつも現れたという話をしたいと思います。

その最初の灯を掲げたのが、1980年代のアメリカに存在していた ブリヂストンUSA でした。

ブリヂストンUSAと失われた哲学

1980年代のアメリカ自転車市場は、二つの波がうねっていたと何度も話に聞きました。

ひとつは、ツール・ド・フランスを夢見るロードバイクブーム。軽量アルミやカーボンの新素材、速く走るために極端に前傾したポジション、勝利のための新機材が次々と投入されていました。

もうひとつは、カリフォルニア発のマウンテンバイクカルチャー。太いタイヤと頑丈なフレームで、舗装路を飛び出して、自分の力でどこにでも行ける自由を謳歌する。アドベンチャーとアウトドアの象徴でした。

どちらも華やかで、どちらも眩しい。そんな市場に挑んだのが皆さんもご存じの ブリヂストン。日本のタイヤメーカーとして世界に名を轟かせていたそのブリヂストンが、独自に北米市場向けの自転車を設計、販売を開始したのでした。

その中心にいたのが、のちに伝説となる グラント・ピーターセン(Grant Petersen)でした。

カタログに宿る思想

グラント氏はただの製品マネージャーではありませんでした。彼は文学に通じ、文化を尊重し、ユーモアあふれた文章を書く人物で、カタログをエッセイのような読み物へと変えてしまいました。

普通のカタログが「勝利」「軽さ」「最新技術」を強調する中、ブリヂストンUSAのカタログにはこんな言葉が並びました。

  • 「SELL STEEL!」――スチールを売ろう!
  • 「Unracer(アンレーサー)」――レースをしない人のための自転車

彼の文章の中にはしばしば皮肉を込めて、当時のレース至上主義をやわらかく批判していました。自転車はもっと広い世界の道具であり、人生を豊かにする存在だ、と。

RB、MB、そしてXO

そのグラント氏の思想を具現化したものが、いくつかの象徴的なモデルなのでご紹介します。

RB-1(ロードバイク)

プロ機材のような派手さや軽量化に振った設計ではないが、クロモリフレームならではの、しなやかな乗り心地と美しい細身のシルエット。レースを夢見る人だけでなく、長く使える週末のワインディングバイクとして愛されました。

MB-1(マウンテンバイク)

軽量化や奇抜なギミックに走るのではなく、シンプルで歴史に基づいた信頼性の高い設計は、トレイルから通勤まで幅広く使える万能性を持ち、派手さを拒む実直なモデル。

XO-1(1992年モデル)

グラントさんの思想の集大成とも言える自転車だと言われており、26インチホイールに太めのタイヤ(32〜38mm)、そして何より特徴的だったのがムスタッシュバーと呼ばれる独特な曲線を描くハンドルバーとの組み合わせ。

この奇妙な組み合わせは当時の自転車雑誌では酷評され、「中途半端」「誰も求めていない」と嘲笑されました。しかし、その一台で街乗りもツーリングも軽いダートもこなせる万能性は、時代を40年も先取りしていました。今日、多用途なオールロードやグラベルバイクに乗る私たちは、XO-1の影響を確かに受けています。

終焉と種火

しかし、思想だけでは企業は救えないのがこのリアルな世の中です。1990年代初頭に始まった極端な円高ドル安によって、日本製の自転車は急速に高価になり、ブリヂストンUSAの経営は悪化の一途を辿ります。そして市場の主流は依然として「より軽く、より速いレーサー」であり、アンレーサー思想は依然少数派にすぎませんでした。

1994年、ブリヂストンUSAは静かに幕を閉じます。表舞台からは消え、その哲学は散り散りになったように思われました。

けれど、それは完全に消え去ったわけではありませんでした。熱心な愛好者は BOB(Bridgestone Owners Bunch)というグループを作り、ニュースレターで繋がり続けたのでした。彼らは「レースではなく人生のための自転車」というグラント氏の思想を決して手放さなかったのです。

その小さな灯を胸に、グラント氏自身もまた歩みを止めなかったのでした。ブリジストンUSAが撤退から数ヶ月後、彼は自宅のガレージで新しい会社を立ち上げます。
その名は――Rivendell Bicycle Works

だいぶ話が長くなってしまったと思うので、この続きは来週の球体のつくり方でお伝えしようと思います。

それでは皆さんごきげんよう、また来週お会いしましょう。

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田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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