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「週刊 球体のつくり方」Vol.34

在庫のその先にある、店の存在

先日、久しぶり(40日ぶり)に休みが取れて、栄の街を歩いてみました。

年末が近づいてきたせいか、大通りには人の流れはあるものの、わたしが好む裏路地で目に入りがちなのは、きっと明かりが再び灯されないであろう店の影。

ガラス越しに見えていたはずの棚も白い布で覆われて、そこにあったであろう商品の気配だけが、まだわずかに残っているようにも感じます。

ここ20年ほどのあいだに、小売業は大きく姿を変えてきました。
クリックひとつで必要なものが即日に届き、価格もレビューも在庫も画面の中に整然と鎮座整列します。効率性だけを見れば、これはひとつの到達点なのだと思います。

その一方で、冒頭のように静かに姿を消していった店があり、こんな状況の中でもなお、強い存在感を放ち続けている店などもあります。

一体全体この差はいったいどこから生まれているのでしょうか。

「在庫を持たない正義」が痩せさせたもの

21世紀の小売の世界では、コンピュータによる管理が洗練化され、物流もその能力によって驚くほどの速さで動き始めました。
その流れの中で、在庫を持たないことが最良だ、という考え方が必然的に広がったように思います。

キャッシュを寝かさないこと。
無駄を削ぎ落とすこと。
売れ筋だけに集中すること。

数字だけを見れば、とても筋の通った発想です。
わたし自身も、その流れに乗るべきだろうと苦悩したひとりだったのだと、今でこそ思っています。

ただ、在庫を減らせば実際に軽くなるのは棚だけではありませんでした。

選択の幅が細り、たまたま出会うはずだった未知との接点が消え、
「店に行く理由」そのものが緩やかに痩せていってしまったのではないかと今では考えるようになりました。

在庫の話は今回はあまり深追いしませんが、それらを減らした結果、“店の意味”まで薄れてしまったという事実は少なくないと感じています。

けれど、この同じ時代に、あえて「店であること」を強くしようとした場所もたしかに存在しています。

それでも人が店に通う理由

ロンドンやニューヨークにあるRaphaのクラブハウスには、ウェブで簡単に買い物ができる時代にもかかわらず、多くのサイクリストが足を運びます。
コーヒーの香り、ライド帰りの人の息づかい、壁に並んだ一流写真家の撮る写真たち。
そこには“滞在する理由”があり、商品はその空間の一部として呼吸しています。

ブルックリンのPatagoniaの店舗には、修理スペースや環境アクションの拠点があり、服を買うという行為が、ブランドの思想とサポーターである客とがしっかりと手を結ぶ体験と重なっています。
「長く使う」「直しながら付き合う」
その姿勢に正しく触れることで、お客さんの側にもモノとの距離の取り方が生まれるのだと思います。

アメリカの巨大アウトドアショップREIに足を運ぶと、店がただの商品棚ではないことに誰でもすぐ気づきます。
そこではワークショップや講習会がひっきりなしに開かれ、登山やトレイル整備、装備の使い方に至るまで、あらゆるアウトドアの“学校”のような空気が流れています。


巨大な企業でありながら、店全体が地域のコミュニティセンターとして機能し、中古の買取から修理の文化まで、生活と自然をつなぐ循環が豊かに育っています。
買い物の動機が「学ぶ・参加する」へと書き換えられた象徴的な例だと感じています。

こうした店では、商品は単なる物体ではなく、
世界観の入口であり、人の時間を支える道具や価値として置かれています。

成功している店に共通しているもの

これらの店を眺めていると、いくつかの共通点が浮かんできます。

ひとつは、「滞在する理由」が丁寧に用意されていることです。
買い物の前後の時間こそが豊かで、店にいること自体が、ひとつの体験として成立しています。

コーヒーを飲みながら誰かと話す。
スタッフの言葉に耳を傾ける。
モノに触れながら、自分の時間の使い方を想像してみる。
そうした行為そのものが正しく価値になっています。

もうひとつは、世界観がしっかりと立っていることです。
「これはいいものです」ではなく、「こういう世界を信じています」という姿勢が店全体に流れています。
その世界観に共感する人が自然と集まり、通い、関わり続けることで、店は単なる売り場から“小さな文化圏”へ育っていきます。

そして最後にもうひとつ。
これはいちばん重要だと感じていますが、
責任を引き受けていることです。

売ったあとも、モノと人の関係は続いていくという前提に立ち、
ときには修理をし、
ときには選び直しを共に考え、
ときには無茶な相談にも寄り添う、
そのような積み重ねが、「この店で買いたい」という大きな信頼につながっていきます。

在庫と言う存在も、この文脈で見れば姿が少し変わります。
モノが多いということではなく、街の人たちの時間や欲望を受け止める覚悟が、棚の重さとしてそこに立ち上がっている
ということなのだと思います。

店は関係の器でありつづけられるか

効率、瞬間、そして軽やかさが価値とされる現代において、あえてその重さを引き受けるという選択は、たしかに怖さがあるかもしれません。
それでもなお、人に選ばれ続けている店たちは、それぞれのやり方でその重さを抱えているのだと思っています。

在庫という重さ。
コミュニティを受け止める重さ。
思想を街に根付かせる重さ。
誰かの時間を預かる重さ。

そうした重さのひとつひとつが、
店をただの売り場から、関係の器へと変えていくのだと思います。

クリックだけで買い物が完結する時代だからこそ、
“わざわざ行きたい店”の価値は、むしろこれから高まっていくのかもしれません。

求められているのは、なんでも揃う店ではなく、
ここで過ごす時間そのものを好きになれる店です。

在庫のこと、効率のこと、経営のこと。
考えるべきことはたくさんありますが、そのどれもをいったん脇に置いて、「なぜこの店がこの街にあるのか」という問いだけを丁寧に見つめてみると、次の一歩の形が、少しだけはっきりしてくるように感じています。

それではみなさんごきげんよう、また来週お目にかかりましょう。

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kyutai
田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
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