来店予約はこちら

「週刊 球体のつくり方」 Vol.41

雪山と舗装路、そのあいだで考えていること

冬馬鹿野郎のシーズン

最近、スキーに夢中になっています。
もう、ドがつくほどにはまっています。
気がつけば、今シーズンだけで板を2本も買っていました。

自転車フリークの皆さまには本当に申し訳ないのですが、シーズン中、わたしの頭の中にあるのはターンのことばかりです。

そしてご褒美的なデイオフ。現場では雪面の状態、板の走り具合、体重の入れ方、抜き方の反復練習です。

一日の終わりには脚が心地よく重くなり、その疲労すら誇らしく感じてしまう自分がいます。もう冬馬鹿野郎とでも言ってください。

今年は暖かい冬だと言われていますが、それでも雪山には多くの人が集まっているように感じます。オリンピックイヤーという空気もあるのかもしれません。とにかく今、山には熱があります。

カムバックする人たち

そして目立つのは、カムバックしてきた人たちです。

「10年ぶりです」
「大学以来ですね」

そんな声を、リフトの列や休憩所でよく耳にします。

きっと人間とは一度好きになったものを、完全には手放さないのかもしれません。

ターンの静かな瞬間

スキーの醍醐味といえば、カービングターンだと個人的には思っています。 近年の流れでいえばバックカントリーやフリースタイルなのかもしれませんが、わたしはいわゆる基礎上がりということもあり、断然ゲレンデでの大回りに夢中です。

エッジが雪を捉えるために重心を整え、板へ丁寧に入力していく。 たわみを生み出し、最上の弧を描こうとする。

外脚で受け止めた圧を、静かに内側へと解放し、膝を雪面へと寄り添わせていく。 脚の雪面コンタクトを信じ、焦らず、最後までそのたわみのなかに身を置き続ける。

ターンの前半で急がず、板の反応を待つ。 そして後半まできれいに乗り切れたとき。 板が雪面を切り裂くというより、雪と対話しているような感覚になります。

余計な力が抜け、体と板と斜面が一本の線でつながる。 その瞬間は面白いことに静かなのです。 速いはずなのに、けっして騒がしくありません。 おそらくあれは、「正しい場所に重さがある」状態なのだと思います。

重さの置き場所

重さとは本来、負担になるものだと思われています。
けれど位置が整えば、それは推進力へと変わります。

重さを消すのではなく、重さの置き場所をつねに探している。
スキーはそのことを、斜面の上で身体に教えてくれているのかもしれません。

自転車との共通点

自転車もどこか似ています。

ペダルにきちんと乗れているか。
ハンドルに逃げていないか。
サドルに頼り切っていないか。
重心は未来に向いているか。

うまく乗れているとき、自転車は驚くほど軽く感じます。
実際の重量が変わるわけではありません。けれど、重さの意味が変わる、とでも言えばいいのでしょうか。

道具の性能はもちろん大切です。
板の特性、ブーツの硬さ。
フレームのしなり、ホイールの剛性。

しかし最終的に差を生むのは、身体との関係性なのだと感じています。

趣味とは、身体と道具の誠実な対話のようなものかもしれません。

決定的な相違点

ただし、決定的に違う点もあります。

スキーは山へ向かわなければ始まりません。
雪があり、時間があり、条件が整っている必要があります。

一方で自転車は、玄関を出た瞬間に始まります。

この違いは、わたしの人生の選択にもとても深く関係しています。

選ばなかった道

若い頃、本気でスキー業界に入りたいと考えたことがありました。
野沢温泉に毎冬こもり、ひたすらに上達を望みました。

けれどわたしは選手でもなく、ただの趣味人でした。
そこに飛び込む勇気を持ちきれなかったのだと思います。

それでも思いを完全に手放せず、アメリカに向かいました。
シアトルにいた頃は、ほぼ毎日のようにひとりで滑っていました。

あの時間は純粋で、濃密で、今振り返っても大切な記憶です。

その環境のおかげで英語を身につけることができました。
結果的に、それは今の仕事に確実につながっています。

選ばなかった道も、無駄にはならないのかもしれません。

日常の隣にある乗り物

最終的に家業にしたのは自転車でした。
日常のすぐ隣にある遊び。
生活と地続きにある移動手段。

いつでも始められるという強さは、想像以上に大きいと感じています。

戻ってくる自転車たち

最近、お店にもカムバックしてくる方が増えています。

18年前に私が組んだサーリーを持ち込んでくれた方がいました。
「また乗りたくなって」と、少し照れながら話してくれたそうです。

親御さんが乗っていたマディフォックスを、今の感覚で組み直したいという若い方もいます。
古いフレームに、現代のパーツ。

記憶と現在が交差する瞬間です。

人は、好きだったものに戻れる可能性をどこかに残しているのかもしれません。そして戻るとき、その人は以前とは少し違う。

年齢も、経験も、重さも変わっています。
けれどそれが悪いわけではなく、むしろその重さがあるからこそ、以前よりも深く楽しめるのかもしれません。

遊びと仕事の関係

雪山にいるとき、わたしはほとんど仕事のことを考えていません。
かなりの確率で電話にも出ません。

目の前の一本のラインに集中しています。
次のターンのための予習復習をしています。

その時間があるからなのか、戻ってきたときの仕事は不思議とスムーズに進みます。

判断が普段よりも早く、迷いが少なくなっているようにも感じます。

遊びは仕事からの逃避ではないのかもしれません。
むしろ思考を整える時間なのだと思うようにもなりました。

本気で遊ぶことは、本気で働くことと矛盾はしません。
むしろどこかで支え合っているのでしょう。

斜面で重心を整えることと、日常で判断を整えること。
そのあいだには、確かな共通点があるように感じています。

雪山と舗装路

当然ですが雪山と舗装路は、まったく異なる景色をしています。

けれどどちらにも、円を描く瞬間があります。
カービングの弧。
コーナリングの軌跡。

ほんの少し先の未来に重心を預けたとき、
身体と道具が正しく噛み合います。

その感覚を、これからも探していくのだと思います。

雪の上でも、舗装路の上でも。

そしてまた、誰かが戻ってくる場所を、
わたしたちなりにしっかりと整えておきたいとも思っています。

弧を描きながら生きる

人生とは決してまっすぐな直線ではなく、いくつもの弧でできているのでしょう。

そのひとつをまずは意識して、丁寧に描いてみる。
それが何かの始まりになるのだと思っています。

そしていつか、それらの弧が自然につながり、
気がつけば大きな軌跡になっていきます。

そんなことを想像しながら、人は生きていくのかもしれません。

また来週から雪山が待っています。
きっと今シーズン最後になるかもしれませんが、その締めくくりに、できるだけ丁寧な弧を描いてこようと思います。

それではみなさんごきげんよう、また来週お会いしましょう。

アバター画像

kyutai
田中 慎也

空転する思いと考えを自転出来るところまで押し上げてみた2006年。自転し始めたその空間は更なる求心力を持ちより多く、より高くへと僕を運んでいくのだろうか。多くの仲間に支えられ、助けられて回り続ける回転はローリングストーンズの様に生き長らえることができるのならば素直にとても嬉しいのです。既成概念をぶっ飛ばしてあなただけの自転力に置き換えてくれるのなら僕は何時でも一緒に漕ぎ進めていきたいと思っているのだから。
田中 慎也の記事一覧