機械の詩学 ― Back to Analog
アップデートの波は、もう止まることを知りません。
自転車の世界も例外ではなく、電子化や電動化、ワイヤレス化の大きな潮流の中にあります。変速機はケーブルから解き放たれ、ボタンひとつで正確に動作し、どんな状況でも確実にギアが決まるようになりました。
けれど、その完璧さの裏側で、どこか味気なさを感じることがわたしにはあります。

それは、“触れる”という行為そのものが奪われていくような感覚です。
シフティングレバーを押し込むときのわずかな抵抗感や音、ケーブルが張り詰める手応え、そうした小さな感触たちは、いつの間にか人の手から離れていこうとしています。機械と機械の中で生まれる微かな摩擦や音こそが、自転車という道具がもっていた詩だったのかもしれません。
デジタルの疲労とアナログの回帰
ここ数年、「アナログ回帰」という言葉を耳にする機会が増えました。
音楽ではレコードが再び脚光を浴び、カセットテープさえも人気を取り戻しています。
写真ではスマートフォンからフィルムカメラへ、さらに初期のデジカメが“レトロデジ”として再評価され、粒子の粗い写真や現像という行為そのものが新しい価値を持ちはじめています。
それは単なる懐古ではなく、テクノロジーの速さに追いつくことを一旦やめて、自分の感覚を守ろうとする自然な流れのように感じます。

自転車の世界でも、同じ現象が見え始めています。
電子変速やワイヤレスコンポーネントは驚くほどの精度を誇り、メンテナンスの手間も減らしてくれます。けれども、そこには確実に“触れる余白”というものがなくなっていっています。
その一方で、古い納屋系バイク、すなわちオールドMTBやスチール製のロードバイクを探す人たちが増えてきていることを自転車屋として強く実感しています。彼らは単に安価な中古車を求めているわけではなく、自分の身の丈に合った、“手をかけられるもの”を熱心に探しています。そして自分の手で修理、調整をして、理解できる機械を所有すること。それが、デジタル時代における新しい豊かさの形なのかもしれません。
機械と人間の“あいだ”にあるもの
ケーブルを引く変速は、単なる古い技術ではありません。
それは人の力を媒介にした、物理的な“会話”だと考えてみるのも面白いと思います。
先に話したようにレバーを押し込むときの指先の力、ケーブルのたわみ、ディレイラーの動き、そしてチェーンがギアにかかるときの音。これらがひとつのリズムとなって人の感覚と繋がっていきます。
人の感覚と機械の動作が、わずかな誤差の中で共鳴する、その“間”にこそ、アナログ的な美しさが宿っているように思います。

電子変速は、その“間”を消してしまいました。
タイムラグもなく、誤差もない。確かにレースでは大きな意味を持ちます。
ただ、日常のライドで私たちが求めているのは、必ずしも誤差ゼロではないのかもしれません。効率だけを競う機械になったとき、人は“関わる余地”を失います。
アナログの魅力は、不完全さの中にあります。
少しズレても、音がしても、手を入れれば直る。ケーブルを替え、グリスを差し、また走り出す。そこには、自分の力で機械を回復させる喜びがあります。それは修理以上の行為です。自分の道具に対する責任を取り戻すことでもあります。
経済成長と更新の強迫
アップデートは現代経済の燃料です。
新素材、新構造、新規格が次々に生まれ、「進化」という言葉が常に添えられます。
しかし、その速度はしばしば“使う人”の時間を追い越します。「最新」であることが価値とされ、「古い」ことが劣位と見なされるとき、成熟や愛着は居場所を失います。

新興メーカーの開発スピードには敬意を払います。魅力的な製品も多い。それでも、変化を追い続けることが幸福かは、別の問いです。
アップデートが“進化”ではなく“義務”に感じられるとき、どこで立ち止まるかを選ぶこと、それ自体が知性であり、節度だと考えます。
アナログの強さは、時間に縛られないことです。
十年前のフレームやパーツでも、手をかければ走ります。ケーブルを交換し、グリスを挿し、また自分の速度で出発できる。
そこには、経済の論理とは別の、人間らしい時間の流れが確かにあります。
触れるという行為の再発見
どれほどテクノロジーが進んでも、人は“触れること”で世界を理解します。
画面越しではなく、工具の重さ、油の匂い、指先に伝わる微かな抵抗。それは郷愁ではなく、自分の感覚を取り戻すための具体的な行為です。
ケーブルを引く指先の重み。
ブレーキを握ったときのリムの摩擦音。
ディレイラーのわずかな抵抗。
一つひとつの徴が、身体と機械をつなぎ、私たちを“現実”へ戻します。

デジタルが与えるのは結果、アナログが与えるのは過程。人の記憶は、いつも過程の中に息づきます。
精神の回路を取り戻す
RAL Exposureが掲げた「Back to Analog」という言葉は、技術の進歩に抗うものではなく、“自分の速度を選び直そう”という提案です。
アナログは遅さではなく、深度の選択です。

相棒である自転車にまたがり、指先でレバーを押し込む。
カチリと小さな音がして、チェーンが次のギアへと移る。
その瞬間、感覚的には機械と身体がつながります。
そんな手応えを忘れないために、多くのアンレーサーは今日でもアナログを選ぶのだと思います。
小さな誤差の中で
壊れない世界を望むほど、わたしたちは自分の出番を失っていくのかもしれません。
アナログの不確かさは、そんな時代の中で、かすかな居場所をつくってくれるのでしょう。
壊れやすいものを所有することとは、手をかけることを自分に約束することなのだと思うのですが、その約束の中に、人はまだ“自分の生きる速度”を見つけられるのだとも思っています。

完璧ではない仕組みの中で、わずかに残された“人の余白”があります。その余白をどう使うかで、道具の意味も、暮らしの性質も変わっていきます。
わたしたちは、そんな不安定さの中でしか、自由を感じられない生き物なのかもしれませんね。
それでは皆さんごきげんよう、また来週お会いしましょう。